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マーキーラモーンがやってきたぜ!


☆MARKY RAMONE TOUR IN JAPAN 2006☆

1/15 FUTAKO, TOKYO, JAPAN PINK NOISE
1/16/06 INAGE, CHIBA, JAPAN K'S DREAM
1/17/06 SHIBUYA, TOKYO, JAPAN CLUB VUENOS
1/18/06 YOTSUHASHI, OSAKA, JAPAN KING KOBRA
1/19/06 ANJO-SHI, AICHI, JAPAN RADIO CLUB
1/20/06 HAMMATSU, SHIZUOKA, JAPAN FORCE
1/23/06 NEYAGAWA, OSAKA, JAPAN VINTAGE

Setlist:

01. Rockaway Beach
02. Teenage Lobotomy
03. I Don't Care
04. Sheena Is A Punk Rocker
05. Havana Affair
06. Commando
07. Beat On The Brat
08. 53rd & 3rd
09. She's The One
10. The KKK Took My Baby Away
11. Pet Sematary
12. Rock 'N' Roll High School
13. I Wanna Be Sedated
14. Psycho Therapy
15. Chinese Rocks
16. Gimme Gimme Shock Treatment
17. Judy Is A Punk
18. Today Your Love, Tomorrow The World
19. Pinhead
20. R.A.M.O.N.E.S.
21. Poison Heart
22. Blitzkrieg Bop



やたら螺旋階段が多いクラブへ初潜入!場所は渋谷のクラブCLUB VUENOS にて。マーキーラモーンを待っている所。


ハッピーディスパッチのfuckin'ヨースケとルーシーと
今か今かとはしゃぐ私たち!


いよいよライブが始まった!!ギュウギュウのお客さん!後ろを振り向けば、凄い暴動が・・!

もうマーキーに釘付け!!

この余裕にハイハットのビート、バスドラがたまんない!




終演後、VO.のDAVIDを囲んで、家族で記念撮影!

ディヴィッドは、若いときのマーキーに
似ている。と思った。
★楽屋にて

マーキーに「still drumer?」と聞かれたので、もちろん「YES!!」と答えました。嬉しかった!
3年前に来日したときに、恐れ多くも「Practice!( ガンバレヨ!)」と激励をもらったのですが、今日までドラム続けててほんとによかった・・・!と思う瞬間でした。


ちゃっかり自分のスネアを
持参していた私は、なんと
マーキーにサインをもらってしまった!

生きててよかった!!

自慢の70'sラディックちゃんを見て
「ナイス!!」と言われて、またまた興奮!
自分でカスタマイズしたところを
はじめて褒められたのがマーキーだなんて、
うおおおー!!もう泣きそうです・・・感無量です!
マーキーのやさしさに感激でした。



み、み、見よ・・・!
HEY HO LET'S GOの文字が!!
目の前でマジックで書かれていく瞬間、
私の心臓はもう爆発寸前!
頭の中は発狂寸前だった!!



この感動はとても言葉にできません・・!
なんとスネアの裏側まで・・!!!

スネアのサイドにも
「マーキーラモーン」!!!!
なんとなんと合計3カ所にサインを
かいてくれたのです!!
9歳でラモーンズに出会い、
ラモーンズに一生ついていくと決めた私ですが、
こんな衝撃を体感していいのか・・
ああ信じられない思い!
もう家宝です



Marky Ramoneがやってきた。ラモーンズのドラマーであり、ヴォイドイズのドラマーであり、私にとってマーキーラモーンことマークベルは私のドラムの・・・いや、人生の師匠である!!
マーキーラモーン来日!!これはなんとしてでも行かないわけにはいかない。私は革ジャンをはおり自分のスネアを背負うと、タクシーに飛び乗り、マーキーが演奏するというきいたことのない渋谷のクラブに出かけていった。
会場につき、当日券を買って中に入ると、至る所に革ジャンを着た気合い入りまくりのラモーンズファンがたくさんいる!これまでに体験したラモーンズのライブの光景を思い出して胸がワクワクする。前回はミスフィッツの来日でなぜかドラムをマーキーが叩くという噂を聞きつけて駆けつけた。しかし正直なところ、ライブに行ってショックだった。やはりラモーンズファンである私はマーキーがミスフィッツの曲(それも後期)をやるのなんて見たくはなく、オーディエンスのノリも含めて、なんだか「こんちくしょー!」という気分にかられたからだった(詳細省略)。
やっぱりラモーンズのドラマーとしてのマーキーじゃないとだめなのだ!!ライブの帰り道、そう何度も確信しながら、ラモーンズのライブがもう見れない悔しさにむなしくなったっけ。

しかし!!なんと・・・!!
今回のツアーはオールラモーンズナンバーでやるという!!私の胸はドキドキ興奮していた。
そして実に3年ぶりにマーキーに再会できる日がやってきた・・・!
私は最前列の左スピーカーの目の前に陣取り、かじりつきでライブを見ることに見事成功した。ライブは最高だった。巨大なスピーカーに体が押し付けられ耳がヤられて、しばらく使い物にはならなくなったけど、目の前で繰り広げられるオール・ラモーンズナンバー!そして、ジョーイのVOを研究していたという噂のVo.DAVID!彼はまだ20代後半ぐらいのナイスガイで、マーキーのバンドのローディの友達だという。感動だったのは、ジョーイのVoがあれだけ素晴らしいだけにラモーンズナンバーを再現したところで少々違和感があるのではないか・・と不安だったのだけど、そんな不安もライブが始まった途端にふっとんだ!素晴らしかった。目の前で奇跡が起きていた。目を閉じると、ラモーンズのライブが脳裏にぐわぁ〜んとオーバーラップし、正真正銘のラモーンズショウをまた体感できているという夢みたいな気分とライブの興奮と目の前にマーキーがいる感動で、何度も涙がじわじわ出てきた。直にマーキーの力強いくっきりとしたドラムの音圧をバフバフを全身で浴びるなんて・・・これはもう言葉で形容できないぐらい最高の贅沢なひとときだった!そして手に取るようにわかる至近距離でのマーキーのハイハットさばき!特に手首の小刻みな信じられないぐらいのリズミカルな動き!しかも顔はスマイル!!何度も息を飲んだ。とにかく大興奮のライブだった。


ありがとう、マーキーラモーン!!また来年もマーキーに会えますように!!

追伸。
私は悩みに悩んだあげく、ある決意をした。スネアドラムの皮を張り替えずに、週末のライブに挑もうと思う。
一度だけ!やっぱり一度だけ、使いたい・・・!マーキーが書いてくれたサインを見ながらドラムを叩きたい!


The KKK Took My Baby Away (RAMONES)



(------レッドダイアリー2006.1より)


マーキーラモーンファンは必見!!
●特別付録 キングジョーから送られたインタビュー速報

速報!マーキー・ラモーン会見記
(2007年1月21日@タワレコ茶屋町店)
聞き手:安田謙一、キングジョー

タワレコの控え室で安田さんと質問の順番を考えてたら、マーキー一行が到着。打ち合わせに入る前に俺は着てったジャンパーの左袖を見せた。今から11年前か、最後にラモーンズが日本でやったときに、ハードロックカフェでジョーイにもらったサインが描いてあるのだ。「オオ!」マーキーが真剣な目になる。ツカミはオーケーか?その勢いでマジック差し出して右の袖にマーキーのサインをもらい、通訳さんまじえて4人で打ち合わせに入る。事前に「聞かれて嫌なこと、NG事項」を確認する。「ラモーンズの話は聞かんでくれ」とか言われたらどうしようかと思ったけど、そんなことはなくて、ゲイであるかどうかは聞かないでくれワッハッハといったテンションだったんでこちらもリラックスして色々と質問できたのでした。

Q:子供の頃はどんなロックが好きでしたか?
A:ビートルズ、ストーンズ、キンクス、ヤードバーズなどだ。
Q:初めて買ったレコードは何ですか?
A:母さんに買ってもらったんだが、ボビー・ピケットの「モンスター・マッシュ」だ。モンスターのダンスナンバーで、ヘンな声を出してて、子供の頃からそういうのが好きだった。
Q:10代の頃にやってたグループDUSTに始まり、70年代アタマからウエイン・カウンティやヴォイドイズ、ラモーンズでドラムを叩いてて、ロックがパンクになるまでの間に、曲の速度が上がってったのを体感したのはいつですか?
A:70年代アタマはスタジアム級のつまらんバンドやイエスやELPなんかがタイクツで長い曲ばかりやってた。しかし!俺達がラモーンズを始め、「ワンツースリーフォー!」ダダダダ!と、ああいうスタイルでやりだしてからだ、みんなの速度が上がっていったのは。俺達の前には誰も居なかった。俺達のあとに皆の曲が速くなってったんだ。くわっ
Q:ラモーンズに入った時、革ジャンは支給されたんですか?ラモーンズの定番のスタイル(革ジャン、ジーパン、バッシュー)ていうのはメンバーにこういうカッコにせよと言われたりしたんですか?
A:いや。元々俺たちは普段からこういうカッコをしてた。他のバンドみたいに着飾ったりしなかった。いつでもリアルな自分たちで居たかったのだ。
Q:本名マーク・ベルからマーキー・ラモーンの名前に替えたときの心境は?
A:抵抗があった。自分の名前が好きだったし、その名前でこれまでずっと活動してたから。しかし、俺のおばあちゃんが俺を子供の頃によく「マーキー、マーキー」と呼んでた。だから、マーキーならまあいいかと思ったんだよ。
Q:アメリカに行った知り合い(湯浅学氏)の知り合いがニューヨークで練習スタジオに行ったとき、たまたまラモーンズが練習してたんで、びっくりしてずっとのぞいてたそうです。で、その人が言うには、「ワンツースリーフォー!」ジャン!ってやったらすぐ演奏をストップして、また「ワンツースリーフォー!」ジャン!「ワンツースリーフォー!」ジャン!と、ワンツースリーフォーの練習をしてたという都市伝説があるんですが、本当にそんなことしてたんですか?
A:やってた。数の数え方がわからなかったんだ、というのは冗談で、いつも始めにそうやって息を合わせるために、カウントしていっせいにイントロに入る練習をしばらくしてから、普通に曲を演奏する練習に切り替えてたんだよ。
Q:アルバム「END OF THE CENTURY」でフィル・スペクターにプロデュースしてもらったときのエピソードを聞かせてください。
A:あのときは本当にいろんなことがあった。一口には言えない。いま書いてる自伝、まだいつ出るか判らないが、それを読んでくれ。
Q:1回ラモーンズを抜けて、また戻ってくるまでの間にハードコアが台頭したわけですが、ラモーンズに戻ってきたとき、久々にラモーンズで叩いてみて「自分が居ない間に曲が速くなった」と感じましたか?
A:倍の速さになってた。「ロコ・ライブ」聴いた?あれは速すぎだわ。「イッツ・アライブ」くらいの速さがいいよ。
Q:「イッツ・アライブ」のタイトルはロジャー・コーマン関係の映画から取ったんですか?
A:ノー。これはフランケンシュタインの映画の中で、フランケンが誕生する瞬間、ベッドでピクピクと動き出すんだ。それを見た博士が叫んだんだ、「イッツ・アライブ!!」てね。
Q:あなたは体が大きいけどドラムを叩く動作はわりと小さい。派手に叩くと疲れますか?
A:ヘヴィ・メタルやハードロックのドラマーは(派手に叩く真似をする)激しく動いて叩くわけだが、俺は手首を上手に使って叩く。だからそんな大きな動きは必要ないんだ。
Q:ミッチ・ミッチェルみたいなスタイルなんですね。
A:そう。(手首だけでドラムを叩く動作をする。右手の指にはめた指輪がリズミカルにカチャカチャ鳴る)俺は疲れない。Q:今日この会場に来てる若いファンたちの中にはラモーンズの曲をカヴァしてる人もたくさんいると思うのですが、そういった人たちにアドバイスをどうぞ。
A:オリジナルであれ。自分であることを大事にしろ。(中略)酒とドラッグは控えて、末永く音楽を楽しんでくれ。

とまあ、こんな感じでなごやかに進んだわけ!ラモーンの名前を継承してゆくにあたっての決意表明とか、いい話もあったけど、本番は20分しかなくて、あっちゅう間に終わった。その後はつめかけたキッズたちとサイン&握手会。オモチャ好きのマークは日本で、50年代60年代テイストのブリキのオモチャが買える店を探してました。ジョーイには大阪のハードロックカフェで、ジョニーはロスのフリマで、そしてマーキーに今日タワレコで会えたわけ!ディーディーとは地獄で会うつもりデス。


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