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Red Diary(2003.1〜2003.3)
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--RED DIARY--
2004

My Heart is disappeared.

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12月18日 rotten!

今日は久々にカレンダーを見て、びっくり!今年も、あとわずかではないか!!
気づいたら、もう年末だよ!なんだか1週間前のことがもうだいぶ昔の出来事のように遥か遠い記憶になってゆく。これは「師走」とよばれるこの時期の、年末特有のものだろうな。
あまり夜、寝ないのも手伝って、すでに日付感覚がぐちゃぐちゃになっている。もう何がなんだかわけがわからなくなっている。ラモーンズの映画もみんなで行ったし、リールアップではyobeのロッキンDJを聞きにいったし、初めて突撃した新宿のレゲエクラブでは巨大なサウンドシステムの中、重低音サウンドに気持ちよく踊った。あれはいつだったのだろう。記憶は「常に自分なりに」がモットーの私としては、時系列を知るのに、この走り書きと、あと月の満ち欠けだけが頼りである。 夜の月の満ち欠け具合を見て、「あれからもう20日たつのかー」とかそんな具合、でもそれぐらいでちょうどいいな。ただでさえ1年の終わりというのは何かとバタバタして、気ぜわしいのだ。しかも年末だけにお楽しみイベントが目白押し!今日も夜からUFOクラブへ!友人がやっているモンドリアンというバンドを見に行く予定。
モンドリアンはオランダの画家、ピエト・モンドリアンがバンド名の由来なんだそうだが、ドラムレスでマリンバやビブラフォンにノイズギターが混じり合う聴いたことのない実験サウンド。アバンギャルドでかっこいいのだ。ジャーマンロックなミニマムループな匂いもするけど、意外なところで、イタリアンホラーのサウンドトラックとかぴったりに思う。個人的にアムステルダムでライブをやってもらいと密かに願っている!アムスはアートスポットがたくさんあちこちにあるが、できればでかい公園の芝生でライブを見てみたいバンドNO.1だ。ぜったい似合うし、すごいトランスが体験できそう。

アムスといえば、10月に行ったアムスからたくさん荷物を送っていたのだけど、船便で送った分がまだ届いていない。なにげに気にはなっていたのだが、ここまで遅いと、もう中に何を入れて送ったのかも忘れてしまった。たしか向こうのアパートメントでの生活用品が入っていた。向こうで買った包丁とかフライパン、調味料なんかも捨てられないから全部入れたんだっけな。
それが先日、農林水産省から電話がかかってきた。何かと思ったら、中に入っていたチューリップの球根1袋が腐っていて、大量のウイルスが発生し、それで農林水産省に今、あるんです、という知らせだった。あれま〜。それで荷物の到着が遅れていたらしい!
チューリップの球根なんて入れたか全く記憶にないのだけど・・腐っちゃいましたか・・。なんか冗談みたいな話だった。YOBEに話したら、爆笑していた。それで、これが防疫法に引っかかり輸入ができないがどうの、という難しい説明を受けた。要するに、ご丁寧に「腐ってるからこれ捨てていいかな?」みたいな内容だった。電話の向こうで、のんきにおじさんが腐った球根の袋をぼけっと持って電話してる姿が浮かんで、ぷぷっと笑ってしまった。なんでもいいんで、早く荷物を送ってください、と頼んだ。
しかし、海外から送る荷物ってほんとに全部開けて、いちいち調べてるんだなぁ。法律があるからしょうがないけど、やっぱり荷物を勝手に物色されるのって、ちょっといやだなぁと思う。(とっても失礼だけど)なんか変態っぽいというか。私だったら開ける瞬間って、やっぱわくわくしてしまうな。間違いなく。役人って人のものをいっつも横領してるイメージが強いだけに、取り上げた違反物とかどうしてるんだろう、とか変な想像をしてしまう。しょーもないが、色々気になる。
無事に全部届けばいいなぁ。


Your Eyes Are Like a Cup of Tea ( Brian Jones Presents: The Pipes of Pan at Jajouka )


12月16日 エジソンロッカーズ

数日前、青い部屋に「エジソンロッカーズ」を見に行った。本当は私達も出るはずだったのだけど、今回は4人そろって見に行った。行ったら、ライブがやりたくってたまらなくなった。死神ジョーやルーシーも同じことを言っていて、SHAKE SOME ACTION !おんなじ気分を味わった快感でさらに興奮した。来年はアルバムも出すし、ホームグラウンドを離れて、色んなところでたくさんライブをやるぞー!
ピアフで宴会をやっていたおじ様達がまた今回のエジロカのオールナイトパーティの混沌ぶりを盛り上げていて、最初はこの「老いも若きもニールもヤングも状態」に落ち着かなかったけど、初っぱなに、インテグレイテッドスリィが登場して、一気に気分が高まった。それにしても、ため息がでるほどにクールすぎるライブだった・・・。ライブ中の3人の表情も毎回楽しみなのだけど、はじめてきいた「ヤァヤァヤァ」と途中に言う曲!斬新で凄かった。ラストのバットマンのテーマ!ジャングルボイスと暴走ビートにヤラレてしまった・・。エジソンが嬉しそうに泉さんから届いた祝辞(電報!)を何度も読んでいたな。画伯ハギー氏はあのバタバタした空間の中で意識を集中して絵を描くのはある意味苦行に似た大変さがあるだろうと思う。やりにくそうだった。
ヘイは、本当に妖怪なのではないかと思う。3ピースなのにあの空気感とオリジナリティ。音のグルーヴというか粒が凝縮していて確信犯な世界観が繰り広げられる。今回はメドレーっぽく曲を連続でやっていた。個性的で見るたびに好きだ。環七スピードキャッツはガレージパンクのパーティ気分をムンムン煽って盛り上がった。和製ランナウェイズ?でも本元よりビッチ度合い高し。がらっぱち具合が。
エジソンが大量のエビチリやマグロ漬けをものすごい大量に作って来ていて豪華なご馳走「エジソン食」を振る舞ってくれた。感動だ。最初の一口は勇気がいったけど、生暖かいマグロにエジソンの愛がいっぱいつまっていた。

帰りがけ、トミーとeBay話で盛り上がる。トミーは相当eBayに入れ込んでいるそうだ!名盤のオリジナル盤をすでに何十枚も買いあさっているそうだ!スゴイ〜!私なんか、あれはマニアでないと入札も許されない気がして、とても手が出せないけれど、恐るべしトミー氏だった。(ちなみにお父さんはブルースのSP盤を買いあさっていたりする。)私はeBay歴は5年ぐらいなんだけど、トミーは既に私のフィードバックを上回っていてびっくり。スゴイスピードだ・・まいりました〜。私の場合、恥ずかしながら、レコードはそんなに買ったことはない。クランプスの見たことないポスターとかTシャツ、ラモーンズのそれとか、あとホラーアイテムばかりだ。eBayは規模がでかい、世界を相手にたたかうから、検索してただ商品をみてるだけでも面白くて楽しかったりする。実は2年前、かなりeBayにはお世話になった。国内でイームズ人気が高まったとき、ビンテージ家具やらチェアーをeBayで業者並みに仕入れて、それをオシャレ家具屋にどどーんと売りさばいて生活費を稼いでいたことがあった。あんまりうまく儲かるので、本気で個人輸入家具屋をやろうとして、部屋がeBayの戦利家具であふれ足の踏み場もなくなってしまい、こうなったらイナバ物置買うしかない、とまで本気で思ったこともあったぐらいハマったけれど・・・。今はたまに細々と覗く程度。
先日、友人から私達DSMの音源が出品されているとの情報が入った。まさかと思って検索したら、本当にあった!タイトルには、DARKSIDE MIRRORS Rare Tracks CD Japanese Garage Psychと書かれてあった。そうなのか?Great Japanese Stooges / Cramps / Kawabata style garage psych that should get you rockin'!という説明がついていた。なんかちょっと興奮してしまう。出元はトロントだそうで、出品者情報もちょっと気になる木・・。翌日、トミーから連絡が。彼はなんと・・その音源をハイビッドして買ってくれていたのだった・・・・!キャートミー氏!!!!(みんなとても感激しています。)


12月12日 故郷。

ゆかりの深い旧知のバンドのライブを見に行った。
そんなに仲の良いバンドではなかったけど、故郷が同じところにある、みたいな漠然とした共通の意識があって、私は親近感を持っていた。そして、個人的にも縁があった。でも、その思い出も、なんだか色あせて見える。もしかしたら、全部思い込みだったのかもしれない、という気さえしている。
最後に彼らのライブを見てから、あれから1年あまりが経っていた。
私はわくわくしながらライブハウスの中に入ったのだけど、でもすぐに、その異変に気づいた。演奏が始まって「!」となった。音がキュっとまとまって前よりしっかりしていた。でも、前とはたがやす畑が違っている。進化をとげた別の風景が見えていた。
わたしの覚えているものは、まるでこんなふうではなかった。今、目の前にはお客もたくさんいて、とてもライブが盛り上がっているのだけど、なんか違う。そう感じるのは、自分の心境が変わっただけだと最初は思っていた。

だけど、ライブ中、何度も(あれ?)とルーシーと目が合ってしまう。でも言葉には出せなかった。 何かがおかしいのだ。変わっていたのは音やバンドの雰囲気だけではなかった。ステージのメンバーの一人は、自慢のモッズヘアがアフロになっていた。変装にしてはうますぎるし、いやまてよメンバーチェンジか?、いや!顔はおんなじだ!!・・そんなはずじゃあ・・と様々なことが頭をよぎる。何かキツネにつままれているような気分で、ハテナマークがびゅんびゅん浮かんだ。言葉に表そうとすると、しかし、その影はかき消されて、失われてしまう。。。
途中、ルーシーが、気持ちが悪いといってトイレへ行ったっきり出てこなくなった。さっきまで元気いっぱいだったのにな、、と心配になる。 私もずっと胸がもやもやしていたから、原因は一緒のところにある気がして、なんとも嫌な感触だった。

終演後、ためらいつつも勇気をふりしぼって、ライブの感想を言いにおそるおそる楽屋を訪ねると、さらにショックなことがあった。彼は私達の顔を忘れていた・・。そして、かつて相当な悪態をつく口の悪い彼が、とても礼儀正しく好青年で、腰が異常に低くなっていた。悪態も何もなくペコペコしてて、やたらとおじぎをしてきた。私達も負けじとおじぎをやり返しながらも、だんだん罰ゲームみたいな気分になって、気が滅入っていった。久しぶりに再会しているのに、おせじにおべっかに当たり障りない言葉ばかり返ってくる。心の中で「なんで?どうして?」が繰り返された。
やさしくしてくれてるのに、全然嬉しくなかった。くやしい気分でいっぱいで、殴りかかりたい衝動まで瞬時にわき上がった。すると、彼は私の内なる衝動に感づいたのか、付近を通りかかったスタッフをぱっと呼びつけて、「缶バッチをこの子達に渡しておいて」と言った。なんかまるであしらわれてるみたいでその態度にムカついて、私は彼の後ろ姿に向かって「どうしちゃったのー。前はあんなに悪態ついてきたのに、ヘンじゃないのー!」と叫んだ。そう言うのが精一杯だった。だけど、彼の後ろ姿は動じたそぶりも見せなかった。前だったら、私のけしかけた言葉の10倍はやりかえしてくるのに、肩がピクリともしなかった。そのヘラヘラしたしもべのような男は、私達2人を彼から引き離すように手を引いて人をかき分けて出口へと誘導した。入り口付近で、箱に入った缶バッチを3個渡し、よかったですね。といいながら、見送られた。表にボロんっと出されて、しばらく私達はその場に立ちすくんだ。
今のは一体・・・・。しばらくたって、この状況がわかった。

・・・・あれからしばらく会わない間に、彼らに「何かが」起きたのだ。人間が変わってしまうほどの何かが。でもこんなショックは初めての経験だった。
ルーシーは、ぐったりして落ち込んでいた。「あれ、なんだろう・・」とつぶやいた。私はその不安を消すように、冷静を装って「悪魔に魂を売り渡したんだと思う」ときっぱり言いながら、でも言いながらちょっと足が震えていた。

帰り道、風が冷たく寒かった。たこ焼きを食べながら、気を確かに持とうとお互いを励ましあった。「私達は大丈夫だ」と言いあった。ラモーンズの映画も4人で見に行ったしね、と。これは大した出来事ではなく、よくきく話だったりもする。でも実際に体験したのははじめて。

魯迅の「故郷」を読んだ後味にすごく似ている。


11月27日 A LONG WALK WITH THE DEMON!


もぐら叩き。
この2週間、畳みかける様々な問題を片付けては、また新たな問題が浮上の連続で、まるで延々と続く「もぐら叩きゲーム」のようだった。そんなわけであっちこっちと忙しく走り回っていた。気合いで乗り切ろうにも、さいご残るは、気合いだけしかないといった状況に愕然となっていた。能天気に次々と出てくるモグラへの疲れもたまっていたせいもあった。
それからとても単純な話、すごく現実的な「問題」にぶち当たった。つまり、紙切れだった。要するに、たかが紙切れ。されど・・だった。なくちゃあ困るものである・・。わらをもつかむ気分だけど、わらがない・・。私は悩みの種である、くだらんあの紙切れこと「札」をトイレットペーパーに当てはめてみた。インド人は左手でやる。つまり、深刻に見えて、度胸と忍耐さえあれば、あとは自分次第で乗り切れる問題でもあるのだ。たかがお金の問題なんかで志し半ばで玉砕してたまるもんかと思った。されど、こういう野暮な問題というのは、意外に深刻でしぶとく、足をとられる問題だった。おまけに気持ちまで暗くなる。ブルースマンが歌詞にするだけのことはある。労働者はいつも金で苦労する、でもそんなの今に始まった話でもなく昔からそうだった!

ふと立ち止まれば、不思議の国のアリスに出てくるあの白うさぎがスタタタタっと駆け足でどっかから現れては、わざとらしく時計をチラチラ見ながら、「時間がないんだよ!」と甲高い声でわめきたてた。そのたびに、「うるせーやい
!」と頭ぐしゃぐしゃかきむしりたい衝動に駆られながらも、グルグルいったりきたりして、三回転したり、でんぐり返ししたり、逆立ちしたり、スキップしたり、もううんざりして自転車で坂道を下りながら、「あぁ〜〜〜〜〜〜〜〜!」と叫んだり、馬鹿みたいな遠回りも、思いつく事も全部やって、迷ったり追い立てられたり、そういうことから早く抜け出したくてたまらないのに八方ふさがりでどうしようもなく、このまま貝になるか、犬死にか!?と思っていた矢先だった。目の前の気が遠くなるぐらいの長く小石が積み上げられた細い小道に突如として錆びた黒いドアが飛び出てきた。ドアが。でも信用できない。その先の世界もわからない。だけど、なにやらキューリアスなにおい。既に冷静じゃないのかもしれないけど、直感ではゴーの合図がきている。裸一貫で一か八かそこに突き進むのもいいかもしれないと思った。後悔するよりましだ。ボロ車でもいい、みんなで乗って破れかぶれこのままゴーである。目的は一つしかない。ゴー!

深夜1時。いろんなことを想像して、なんかふっきれた感じ。私は悟った。このタイミングでこのままのぼり上がれば、突き抜ける勢いはいつもの3倍、もしくはそれ以上になるだろうと。上がり始めは勢いが肝心だ。今この瞬間だからこそ、やりたいやつが、やりたいことを、やりたいだけ、やる、だけだ。まだ何も終わったわけではない!
復活第一弾行事として、プリミティブ戦法。大好きな曲を爆音で聞いて一緒に歌った。これは原始的だが、確実な手応えを得る手段だ。はじめて聞いたとき、こぶしをあげた曲で、なんというストレートな歌詞だとつばをのんだ曲。サンハウスの「やらないか」。

みんなやりたがってる 心の中じゃいつも 思い悩んでる それなのになぜか
押し殺してしまって まるで宝の持ち腐れ
みんなやらないか 思い切りが大切 君が思ってる事 やりたがってる事 
素敵な事かも知れない それにぬけ出すチャンス

「イエーーーーーッス!!その通り!!」まずは私が先陣をきらなくては。それから皆に特別付録として爆音で聞くよう注意書きをつけ、やらないかMP3を送りつけることにした。

 さあみんなで 飛び出せ
 さあそこから ぬけ出せ


思い込みかもしれないけれど、何か頭がスッキリした気分で、 さっそうと夜の街へと繰り出した。ラーメンを食べに。


________________________________

今日のブルベはビートナイト!なんと私の大好きなデビアンツのミックファレンが出演した。初めて見ることができた。ラストは、パパウーマオマォ!正直に言うと、短かった、もっとアップテンポで激しい曲もやってほしかった、あの曲も聴きたかった。だけど、始まる前に朗読した詩、ミックファレンから発せられる言葉はめちゃくちゃ格好良かった。彼は私のいるところより遥か現実世界を生き抜いてきているのが佇まいや発せられる言葉からリアルに説得力を持って私の心に届いた。それだけで十分だ。その言葉をここに書いちゃおう!

ALL HIS LIFE HE'D WALKED WITH THE DEMON.
FROM THE RADIUM ROOM TO THE PALACE OF MIRRORS.
FROM THE CANADIAN BORDER TO THE PLACE OF SKULLS.

THE DEMON DROVE HIM TO THE MADNESS.(中略)

THE DEMON WOULD NEVER LET HIM BE FREE.
NEVER ALLOW ITSELF TO BE CAST OUT OR PUT ASIDE.
SYMBIOSIS,HOME BOY, IT TOLD HIM.A TWIN SINGULARITY.

私信:ヨーヨーさん、顔も形も知らないけど、最高の褒め言葉に涙が出てしまったよー!元気をどうもありがとう!!

Somewhere To Go (The Deviants)


11月12日 決断のとき

秋なのだった。この秋は出会いと別れの季節なのかもしれない。そう思ったのは、切ない映画を見終わった後だからだろうか。

昼間、ピータートッシュのドキュメント映画「RED X」を見た。
「俺は小さい頃から恐怖を感じてきた。悪霊が自分の周りを飛んでいるのが見えるんだ。その恐怖に怯えながら、ずっと今まで生きてきた。だけどそんな恐怖と一緒に育ったものがある。それは決断だ。いつか恐怖に打ち勝つことができるという決断だ。」そう言って、彼はミックジャガーと「KEEP ON ROCKIN'」と力強く歌っていた。
共感だ!!びっくりしたけど、私も彼と同じことをずっと思っている。そうだ!そうなのだ!!と、彼の力強い言葉に勇気づけられた。信念は曲げるわけにはいかない。
揺らぐ気持ちがあるけれど、信念は曲げてはいけないんだ。そして決断しなくちゃいけない時がきたのかもしれない・・・。


夜も更け、時代遅れの産物についてなんとなく考えながら今日1日がもう終わろうとしていた。すると、鼻水がスーっと垂れてきた。また風邪か?!これはまちがいなく弱気になったときに襲ってくる「病は気から」現象だろうと思った。悪霊退散!とりあえず風邪薬をいそいで飲んで、ケミカルな安堵感を得る。ふぅ。風邪薬を3種類も飲んでしまったせいか、頭がカーっとなる。

トンツートン、ツーツーツ、ツートンツートン、ツートンツー。(R・O・C・K)

深夜になって、あるモールス信号を受け取った。義理の兄であるキングジョーからだった。いそいで会いに行くとやっぱりそこにいた!久々の再会に、さっきまでの悶々とした気持ちが吹っ飛ぶ。再び変わらぬ気持ちで再会できた喜びに胸が熱くなって思わず抱きしめてしまう。
ジョーの最高にいかした選曲で踊ったら、気がスッコーンと晴れた。
昔の知り合いにもたくさん再会できた。
初めて会ったヤマダ監督に面白い話も聞けた。
今日はたくさんの人から元気をもらって、みんなから助けられた思いがした。

Rockin' In The Free World ( Neil Young )


11月7日 パリtoアムス 


久々に爆睡する。二度寝、三度寝をして起きたら夕方だった・・・。日頃は4時間以上睡眠はとらないようにしているのだけど(時間がもったいない)、寒くなるとたまに寝だめしておかないと体力がもたないようだ。10時間も寝てしまった。寝すぎて頭痛。

今回の旅〜パリ&アムス&ロシアの旅レポートその2〜。

このたびパリが目的だったのだけど、地下社会を訪れる目的を果たし、カフェで濃ゆいコーヒーを飲んで街ゆく人々のコート丈を眺めていると、そろそろパリも終わりにした方がいい気がした。黒や茶や灰色のシックな色がそぞろ寒さを強調していた。オープンカフェはあまりにも寒かった。色が足りない。赤や青や白や・・オレンジが!せっかくここまできたのだから、5年前と同じコースをたどるのもオツというわけで、ちょっと早いが、予定返上!約束の地に今にもすぐに飛んで行きたくなった。北駅に行き、アムスまで直行するタリスという便利な高速列車を予約しに行く。以前は夜行列車があって夜パリを出て翌朝アムスに到着したので、一泊分ホテル代を浮かせようと考えていたが、窓口で聞くと夜行列車はもう今はないという。きっと夜行は色々と問題があったから、廃止されたのだろうと思う。

前に利用した深夜のタリスの列車内は怖かった。日本人とわかると中近東系の男がいきなり寄ってきて、何度もヘラヘラ笑いながらおじぎしたりして馬鹿にしたような態度でからかってきたりしたのでムっとした。関わらないように無視しつづけたが限界がきたところで駅員が歩いてきたので、つかまえてすぐに交渉して個室に変えてもらった。でも、個室といっても4人がけにドアがついているといった粗末なもので鍵もついていなかった。

(回想〜)深夜になると車内は節電の為か真っ暗になり、足が冷えた・・。暗闇の中、列車はゴーゴーと窓を揺らして走り続ける。いきなり強盗が金を盗みに入ってきてもおかしくないヤバい雰囲気で、暴行されても誰も来ないような荒れ果てた雰囲気があった。ドアが何者かに突然開けられやしないかと不安で、ドアノブから目が離せないのだった。深夜になって、ようやく、うとうとした頃、突然ドアがガラっと開き、懐中電灯で顔を照らされた。(きたか!!ヤバイのに捕まった!!)とコートで顔をすかさず隠して息を止め硬直していると、ドンドンと体を叩いてきたのはただの駅員で、「今から国境を越えるからパスポートを見せろ」とぶっきらぼうに言ってきたのだった。懐中電灯で顔を照らしてくるなんて・・やり方が悪者か刑事並みだ、あまりにもだ、ノックぐらいしろ〜!、とホッとしながらも、寿命が縮まる思いである。そんな不安がつきまとう車内での6時間だった。
帰りはもっとスペシャルだった。朝、目が覚めると、なんか外で「ピー」という笛の音がして騒がしい雰囲気。まだロッテルダムあたりだろうと思ってボーっとしていると、ゆっくりと列車が走り出したので、えらくゆっくりだなぁと思っていると、列車が動かなくなった。車内放送を待つが何も流れない。最初はなんていい加減なんだ!とイライラしていると、どうも車内が変なことに気づいた。。。カーテンを開け窓の外をみると、なにやら線路がたくさんある。どうも都会っぽい雰囲気。もしや終点のパリか?と、いそいで個室のドアを開けて出てみると、車内は人っ子ひとりいない。おかしい!!列車のドアまできて外を見ると、たくさんの列車が並んでいた。ドアは閉まったまま。がらんとした列車も動かない。「なんと、取り残されてしまった!!」真っ青になって非常用のボタンを押して無理矢理外に出ると、車庫らしき建物が遠くに見え、線路のど真ん中に出た!辺りはまだ暗いし人も誰もいない。・・つまりは終点のパリ北駅で降りそこなって車庫の手前まで来ていたのだった。しばらくひっそりとした線路上で荷物の上に座って途方に暮れる。駅もなく、遠くには高い塀が続いていた。塀まで近づき、足場を作って這い登って向こう側に降りようとしたが、とても高く荷物もあるし無理だった。あまりにひっそりとして薄暗いので、このまま見放されてしまうのだろうか・・と不安がのしかかり無人島に遭難した気分だった。「誰かぁー!」と止まっている列車に向かって叫ぶが、あたりはシーン・・。30分ほどたってようやく遠くから列車の音が。「人間だ!」マフラーを振って叫びながら半べそで列車に向かって走った。結局、車庫に入ってきた列車の運転手(作業員?)に拾われ、無事にパリの北駅まで送り届けてもらったのだった。でも(推察にすぎないが)割とよくある話のようだ。助けてくれた列車の兄ちゃんは、にこやかな笑顔で「乗れよ!」とキザな口調で手招きして乗せてくれた。フランス人は紳士だ。怒ったりあきれ顔も驚きもなく、別れ際には「サリュウ!」とウインク。ちょっとした冒険をしたような得した気分になれたのだった。
(回想おわり)

今回はそんな失態はなかったが、(家族には迷惑をかけてしまった。それはまた・・。)行きの列車内では隣に座っていた真面目そうな大学院生らしきカナダ人カップル(一見バックパッカー風=しゃれっけゼロ)が乗り合わせていた。ブ厚いオランダの地理本、ガイドブックを3冊ぐらい広げてノートに何か書き写したりカキカキしていて、勉強熱心な図書館のような沈黙が続く。なんか心地悪いなーと思っていたら、目の前に座っている一人旅のおじさんと突然会話が始まった。興味本位で盗み聞きしていると、なんかずーーっとアムスの悪口ばっかりで「そちも今からそこに行くクセして、なぜに文句ばかり?!」と驚きだった・・。こっちの気分は台無しだ。アムスにいる若者についてや治安の悪さ、政治に無関心の若者へと批判はつながり、いい子ちゃんトークというか「じゃーあんたたちは何しにいくわけ?!風車が見たければ、手前で降りれば?」と突っ込みたくなる会話に聞いててウンザリだった。時々列車は途中の駅で5分ほど停車するので、外の空気を吸いに出ると、アイルランド人サポーターも一服でぞろぞろと降りてくる。駅について一服するたびに出会うので、だんだんとお酒の酔いもまわってきたアイルランド人は人なつっこく「おう!もうすぐだな〜!」と盛り上がってきて楽しい。あげくはおっちゃんがブチューとかほっぺにしながら抱きついてきたりして、オイオイ〜だったが、アイルランド人は性格が穏やかでただの気のいい酔っぱらいがほんとに多い。

一方、列車に乗り込むと、しらっとした例のカップルは白い目を向けおもむろに「たばこクサイ!」てな顔でジェスチャーしてきて、なんか感じが悪いのだった。と思ったら、タバコの害について飛んでコーヒーショップについて、また眉間にしわを寄せて批判がまた始まった。窓の向こうに広がる田園風景や風車や牧場といったのどかな景色を見ては感激の声をあげて「♪もうすっぐだ〜!」とワクワクモードの鼻歌の私達とは正反対なのである。わざとらしく聞こえるような声でチラチラこっちの方を見ながら「いいモデル例」がここにいますといった調子で超批判的なアムス論が繰り広げられていた。黙って聞いていれば言葉がわからないと思ってなめやがってヨ〜!とワナワナしてきた。(実際サッパリわからないのだが、人間、敵意は感じ取るものである)じろじろ格好を見てきては「ジャパニーズがどうの」なんていう聞き捨てならないセリフも聞こえて、フンなんか文句あるか!と思ったが、ぐっと我慢。色んな人間がいるもんだなぁと寛大な心を持とうとしつつも、これから行く国のあら探しをして行く前から文句たれてる奴らなんて最低だぜと思った。あともう少しの辛抱だとiPodのボリュームをあげてSTOOGESと景色に没頭。
アムスのセントラルステーション到着と同時に「さらばー!人生の分かれ道、すなわち駅である!」と厄を振り払う気持ちで列車を降り、彼らの後ろ姿を見ながら、心の中で粗塩をパッパ!彼らのような偏見野郎に会うことはないだろうと思った。しかし!3日後ぐらいに自転車でノリノリで爽快に走っていたら、向こうからテクテクとあのカップルが歩いてくるではないか。4時間車内を共にしていただけに向こうも少し遅れて気づいたようだった。見事に道ばたで遭遇してしまったのである!さすがは小さな街である・・。もちろん道中聞かされたアムス批判などとっくのとうに吹き飛んでいた。旅は楽しんだもの勝ちだもんね。
これも何かの縁であろうと、自転車で通り過ぎざまピースサインを送ると、意外にも彼女の方からニッコリと笑顔がかえってきた。近くの美術館の帰りっぽかった。
ちょっとポワンとして、あららー!な展開。・・・嬉しかった・・。後ろ姿にグッドラック・・!
やはりここはアムスなのだった!この街ではみんなピースマインドでゴーインマイウェイなのである!美しい運河の景色を見て一服していると、やっぱり来てよかったなぁとしみじみ思った瞬間でもあった。
車内の会話を思い出すと、少し彼らの心理もわかる気がした。初めてのアムス旅行といっていたし、よくない噂でも聞いて+想像+妄想できっとビビってたんだろうな。アムスはたしかに治安がいいとはいえないだろう。赤線地帯(飾り窓)もどがーんとあるし。私も今回、たった一度だけ怖いのにでくわした。夜更け、黒人の男が女を路上で殴ってる凄まじい光景を見た。たしかにああいうのを見た時は気分ががーんと落ちた。でもその時、まわりの通行人2人がサササっと女性に近寄り、すぐにその女性を囲むと腕をつかんで反対側の歩道に素早く走って、うまく逃げ去っていた。一連のチームプレイは見事にスムーズで、無事、男を巻いていた。そういった地域の助け合いの光景とか見ると、なんだなんだ大丈夫だ、と安心したりした。都会を知っている人なら、よっぽどのことがないかぎり怖い思いなんか滅多にないんじゃないかと思う。いわゆる「都会」だ。 でも東京と違うのは、ドラクエみたいなあのメルヘンな町並みと運河だなぁ。そこまで治安はひどくはないと思う。不良がいじんの多い六本木、いや!もっとスゴイところが東京にはたくさんある。個人的には、知らない言語が激しく飛び交うイキのいい中野・・とかに比べたら・・(ぼそっ)

(・・・つづく)

(CM) 執念みなぎるDSMのニューアルバムは鋭意制作中です!乞うご期待ください!


11月5日 パリのCDショップ事情


あっという間に気づいたら11月だ。今年もあと1か月あまりとは。信じられん!
こないだパリに行ったとき、シャンゼリゼ通りのバージンメガストアでCDを20枚ぐらい買い込んできた。特にフランスもののロックはなかなか日本では手に入りにくいので、買ったCDのほとんどがフランス産のロック。あとフレンチダブを2,3枚。パリのバージンには、びっくりした。何がびっくりかって、売っているCDを全て試聴できるのだ!いつからそのシステムなのか知らないけれど、試聴コーナーが店内の所々にあって、バーコードをピピッとやると、新譜に限らず店内のCDをほぼ全曲試聴できる。お客はみんな、7、8枚の購入の候補を持って試聴ブースに行き決勝戦に入る。じっくり試聴して、これだ!というCDを選んで買って行く。レコード屋で慎重に検盤している感覚で気になるCDを片っ端から聞ける。なんとも強気なことに、全曲が聞き放題なのだった。私は音楽マニアを相手にしている潔さやプライドみたいなものを勝手に店に感じた。
もしかしたら私が無知なだけで日本の大手CD屋もそういうシステムなのかもしれないけれど、国内のCD屋では試聴コーナーにある一部の新譜だけ聞ける、というイメージがある。
そんな太っ腹なことをして店的には大丈夫なのかなと思ったけど、レジは三茶のツタヤ並みに長者の列だった。6つぐらいのレジに1列につき20人位並んでいた。渋谷のタワレコ(いつも行くとがら〜んとしている・・)に比べると、人の量が違う。活気があって繁盛しているようだ。私も最近ではネットでしかCDは買わなくなってしまった。みんなきっとそうなんだろうな。お店に行って直にCDを選ぶということをしなくても、家にいながら楽にCDを買えてしまう今の便利なご時世からすると、そのシステムはCD屋ならではの発想と戦略だろう。売り上げにもかなり効果があるのではないかと思う。ネットがなかった頃のCD屋さんで味わった「この一枚との出会いと感動」を与えてくれる。これは嬉しいことだ!前にパリに行った時はそういうシステムがあったのかもしれないが、全く知らずにただピンと来たCDを思い切って買った。ジャケ買いだから中にはアタリもあったけど、失敗もあった・・・。なので、はずれだったときのガックシがない(懐にもやさしい)というこの衝撃は大きかった!!(フランスで買うとCDはやたらと高い!)おかげでCDを選ぶのにはまってしまい、気づいたら3時間以上もお店に居座ってしまった。でも私以外にもCD屋にたまっている人は多いようで、試聴コーナーで何度も目が合う人とかいて、なんか知り合いみたいな気色になったりもした。フランスのロックコーナーは一番にぎわっていた。輸入ロックコーナーより人口密度が高い。CD屋では人のファッションだけ見てても色んな人がいて面白いのだけど、特に面白かったのはゴスコーナー。いかにもな全身黒のゴスロリなギャルからスキンヘッドの細身スーツにコンバットシューズの年輩層まで狭い一角にぎっちりと定員オーバーで動きがとれない状況だった。1時間ぐらいたって、そのコーナーの前をまた通りかかると、さっきと全く同じ7,8人のメンツがまだCDを根気よく選んでいた。まだいたか!(人のこと言えないけど)もう全員友達になってそうだった。

フランスのロックバンドには、ジャズの要素が感じられる素敵なバンドが多い。フランス語の響きが美しいせいでよけい魅力的に感じさせてくれるような気もする。シャンソンのような哀愁も見え隠れしているようで、独特なメロディラインがある。どのバンドにも共通しているのは、アメリカ的な脳天気さよりも暗黒な重苦しい雰囲気なのだ。特にボーカルの声が上品な響きであればあるほど、メロディ/曲の流れが難解に味付けされ文学的なエロティックムードが漂って個性的な曲調がいきるようだ。この気品!に、この重さ・・静かに興奮してしまう。
今回、試聴できたおかげで、以前よりもかっこいいバンドを数多く発掘することができた。Noir Desirの新譜や旧作も見つけた。やはり新しいCDは出ていない・・昔のアルバムやリミックスものも買い込む。これがなかなかかっこよく新鮮だった。あとTangerというバンドも追いかけているので、ここぞとばかりに見た事ないジャケを数枚手に入れる。新譜ものではNO ONE IS INNOCENTというバンドがかっこよかった。フランスのパンクのインディーズのコンピレーションなどまだ封を切っていないCDがたくさんあるので、これからゆっくりじっくり聞き込もうと思う。



Des visages, des figures

今回ゲットしたリミックス盤
Noir Desirというバンド。
黒い欲望。とても美しく洗練されたダークな世界。
2004.3.27にフランスの女優マリー・トランティニャン(父上は「男と女」のジャンルイ)に暴力を振るい死なせたとして、恋人であるNoir Desirボーカルのベルトランは禁固8年の実刑判決を言い渡された。
フランス人のB-horror友達がうちに遊びにきているとき、彼の携帯電話を通じてフランスからこの悲しい知らせを受ける。人気女優の突然の死にフランス国内では、大事件になっていた。でも事件の真相はいまだに謎だらけである。今年の9月頃には、ベルトランの自宅が放火された。そんなニュースを聞くたびに、ため息がでる。理由はどうあれ、ファンである私は悔しい・・・。事実上、バンドは活動休止で復活する望みは薄いのだから。

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NO ONE IS INNOCENTというバンド。
フランスの怒れる若者達といった感じ。エレクトロなロックで音が太い攻撃性のあるポップだ。生音っぽさはなく加工されたプロツールスワークスって感じ。つまり、いまどき!(でも毒っぽさは感じる。)↓試聴できます。

http://nooneisinnocent.artistes.universalmusic.fr/

11月3日 レコーディング4


おとといは、ライブ後初、レコーディング再開日だった。既に一発セッションで完成しmix待ちのものもあれば、まだリズムしか録り終わってないもの、全く手を付けていない録音予定の曲がある。ドラムとしての任務でいえば、現時点での課題曲は一発録りでだいたいもう終わってしまっているので、録音では当面やることがない。ということで、ネロのギターにあれこれ口を挟んだりしてみたのだが、ネロは横やりを嫌がるので、ある程度ネロの頭で描いている映像が形になるまでは黙ってじっと見ていることにした。今回は(といっても初めての本格レコーディングになるわけだけど)全部自分らでやることになっている。まずは音ありき、なのだが、アルバムはDVD付きにしたいとか今回のコンセプトはこれでいきたい、とかアイデアについては話し出すと止まらない。まずアルバムのタイトル。2年前にCDを作った時に次はコレだ!とそのとき既にみんなで決めていたタイトルがあった。
「ダークサイドミラーズの小人」。
久しぶりにノートのページに書き殴られたそのタイトルを見たとき、ア然とした。しかし念のため、おそるおそる声に出して皆に発表してみると、一瞬の沈黙・・。
その時は全員一致でゾクーっとして、「世界」の次は、これしかないだろうと願いを託していた、きらびやかなタイトルナンバー1(当時)だったのだが、今自分、言葉にした瞬間、何か大きくイメージが外れた。今回は見世物小屋ではない。スティッピンストーン!
当然やはり、今のインスピレーションで新しくゼロから作り上げるべきである・・。既に今回のレコーディングが始まってから、私はいくつかのくっきりしたイメージが浮かんでいる。またじっくりと話し合ってみんなで決めようと思う。
他にもこれまでノートに書き貯めていたタイトルや名文句がたくさんあったので、面白くてノートをめくってみたら、どれも笑ってしまうようなものばかりだった。
たとえば前回のアルバム作りのとき、帯とかに使いたいと考えて、結局使えなかったキャプション(宣伝文句)がある。記念にここに書いておくと、
「ノイズデリケート(クリィーミーマミ風)」(LUCY)、「つむじがほぐれる。」(JUNK)、「早く地下鉄が24時間になることを願います」(NERO) などである。
当時はどれも一生懸命考え抜き自信作としてそれぞれで提示したものだったので、どれも1ワード1ワードに濃いエピソードがつまっているのだが・・。こうざらっと並べると、そのときの苦しまぎれに生み出した心情まで思い出されて、ぐっと何かがこみ上げた。
前作を作りあげた時、私達はみんな精神的に疲れ切っていた。ブルベのライブにあわせて発売を予定していたにもかかわらず、ブルベ当日の朝にはまだCDジャケットのデザインはできていないわ印刷にも取りかかっていなかった。もう時間的に間に合わないとあきらめた絶望の朝を迎え、しかし、黙々と作業は続けられ、夜になり、ライブ3時間前になっても、なんとかCDの袋詰めの作業をし、完成したのは出番30分前のギリギリ。まさに夜なべだった。ベースの失踪も含め、皆ああいうのはもうこりごりだから、今回のレコーディングへの気合い、こだわりは相当なものである。

おとといのレコーディングは、長丁場になった。深夜から始められ、家に帰ってきたのは、翌日のお昼2時を回っていた。16時間におよぶ作業は長かったが、音に向き合う作業に没頭するのは楽しかった。なんとか年内には完成させようと思っているが・・。

(CM) 熱意みなぎる・・というより執念みなぎるDSMのニューアルバムは鋭意制作中です!
乞うご期待ください!



10月31日 不安定なディレイと明日からの新しい気持ち


反復している音がする。
ンカンカンカンカン・・。タッンタンッタンタンタン・・。カッカカカカ・・・。
このビンテージな黒い箱から出る音を聞いていると、クラクラとめまいがしてきた。


考えたけど、やっぱりおかしい。どうかしていると思う。間違っていると思う。変なんだ。
インターネットでニュースを見ながらテレビを見ていると、現実起きていることに気がめいるばかりだった。
相変わらず情報操作に恐怖作戦のオンパレードだ。
星条旗の中に日本という国がいる・・・・・・・。胸が痛い。
テロに屈しない日本はアメリカに屈して正義の名の下に白旗を振ってテロに加担し屈するのだ。その矛盾は反復して反響する。真実はあっけなく嘘に固められているようで、とてつもなく後味が悪い、そう感じるのだった。悪いのは誰か、馬鹿は誰か、あいつは左翼だの右翼だのという問題にすり替えられているように感じられる。そんなチンケな問題か、主義なんかどうでもいい。派閥なんて小学生の社会でもある。くだらない。正直な感情を表に出す事が「悪い事」「非常識なこと」になってしまった世の中が存在していることは、間違っている。自己責任もクソも同じ。誰の為に生きているのか、誰に生かされているのか。そんなことを直面して考えなくてはいけなくなった現実というのは恐ろしくむごい。悲劇が起きたら人間悲しむのは当然なことだと思う。当たり前の事が当たり前でなくなっていることに危機感を覚える。

ありとあらゆる事実をインターネットの世界で私は簡単に知る事ができる。どんな世界の情報だって簡単に知ることができる。でも、テレビをつけても録画番組ばかりじゃないか。おかしいよ。テレビのニュースは私が知っているものより遥かに薄っぺらく事実の1/10しか一方的に伝えられていないように思えた。一日中、ちょっとずつ言葉を言い換えながら、おんなじことばっかり繰り返して言ってるようだった。絶望的な暗黒漫画じゃあるまいし。変だ。
ちょっと待った。さっきと違う。・・・情報が、またソウサされている気がする・・・そんなことを目の当たりにしても、どうにもならない。地球はひっくり返りはしない。戦争はなくならない。テロと侵略はなくならない。悪党は見つからない。争いは終わらない。
破壊兵器は見つからない。見つかるはずもなく、すでにここにある。


このギャップはどうなっているのだろう。現実とのこの落差に愕然とする。一体どうなってるんだろう。やり場のない苛立ちがわき上がる。でもどこにおさめていいかわからない。国を動かす人間・・政治家もその黒幕の財界も道徳心のかけらもないメディアも、もうわからなくなっている。赤い色に狂った闘牛みたいだ。えげつない。いやらしい。そして国民はあほみたいな季節の便りから重要な世界情勢まで、事の大きさに関わらず、同じわずか1分半でTVで伝えられる。ただ偏った情報を与えられるだけ。ただそれを見るだけ。ふーんそうか、ふむふむ納得・・すると思っているのか?
私は恐怖を感じた。こんな恐怖、悲しいったらないよ。被災地の支援活動はまだ続く。10年前の被災地と同じ光景を見る。恐ろしい。早く平穏な日々に戻ることを願うしかないけれど・・・。
ふと思った。 本当に文明は進化しているのだろうか。時は止まっているのではなかろうか、もしかしたら既に後退しているのかもしれないような気がする。


絶望感は反復する。恐怖は反響する。
13th Floor ElevatorsのReverberationを繰り返して聞いた。今日は歌詞が重く響くが、なんていい曲だろう。
私は不安と絶望感にかられている非力な一人の日本人である。でも今日の夜も布団で安心感に包まれて暖かく眠る。むなしいことはないんだ。生きていることを実感するのは素晴らしいと思うから。


テープエコーという黒い箱と遊んだ。宮崎さんからイサボンがお借りしたものだ。
この箱のつまみをまわしながらマイクで適当に思いつく事をしゃべった。この箱からは50年代のSF映画のような、宇宙人が地球人に向かって何か重要な信号を送っているような怪しい音がして面白いのだった。 3つのヘッドから3回再生される、3回目の音がもう一度録音ヘッドに戻って、もう一回3つのヘッドを通る。延々と続いていくようなループが起きるのだった。まるで魔法みたいに!


ロクゼットは、空の星になった。黒いビロードのつやつやしたブラックビューティはとても美しかった。世界で一番美しい犬だった。
愛するものとの別れというのはほんとにつらい。でも姿やかたちは消えても心には残るのだ。思い出というのは消えないのだ。一緒に生活できた幸せ、たくさんの喜びをくれたことに感謝していきようと思う。
これからずっと空から私達家族を見守ってくれるんだと思う。この10年間のたくさんの思い出は一生忘れない。

・・・ テープエコーの反復音を聞いていると、気持ちが落ち着くのだった。
この数日間で色々なことが起きすぎて、ちょっと落ち込んでいたのだけど、明日からは元気を出していくぞーーーーーー!!!うおー!


10月26日 サカナの生まれた日


新潟の地震が大変なことになっている・・・・。やはり地震は恐ろしい・・・。

つい先日、 パリ&アムステルダム、に加えて、初上陸したロシアの豪華12日間の旅から帰ってきた。その3日後にライブが2本もあった!
先週は、スーツケースのふたを開ける暇もないうちに色々なイベントがどっと押し寄せてきて、心構えはしていたつもりだったけど、頭がパンク5秒前!!でもやっと気分が落ち着いている。頭がグラグラしている。やっと落ち着いたので、今回の旅について振り返っている。
いきなりほっぽらかして旅に出てしまったから、バンドのみんなにはやる気を削ぐようなことをしてしまって申し訳ない気もしていたのだけど、みんな暖かく迎えてくれた。
帰ってきてからレコーディングの続きのことばかり考えている。

今回の突然の旅は、パリの地下に潜って、その地下社会の人間、怪物、妖怪たちに「直接触れる」というのが旅の第一目的だった。
パリ行きを決めたのは出発の2週間も切っていた。急に思い立って、いてもたってもいられなくなり、意外と行動派な私はその足でチケットとホテルを予約した。何事も、思ったが吉日。なのである。
そこまで駆り立てたものは何かといったら、ズバリ、この都会生活を送る中で、何よりも一番重要としている「動物的直感」というやつである。だからうまく説明できない。
しかし、私の友人には、それがただの「いつもの奇行」としか映らないようだった。
なんとも心外なことに、パリに行く本当の理由が別に存在すると思われていたようだ。期待を裏切るようだが、本当に理由はそれ一本だった。だから、パリ=おっしゃれ〜な旅だとしたら、私の旅は、「はい?」もしくは「げー!」だろうと思う。バックパッカー並みのお金を持って行ったことはお恥ずかしいながら某所でのルーシーのあきれたコメントでおわかりのとおりである。(ばれちゃったじゃないのヨ!)なので、期待しても何もそういったお洒落話はでてきません・・。
しかーーし!私は今回、振り返ってみて、なんて最高の贅沢な旅をしてきたのだろうか、ああ!と思っている。「お金」と「時間」を使って、まさに「豪遊」の旅をしてきたのだ。
なんといっても今回はいつもの妄想ではないのだ!それを考えると体が自然に火照ってきてしまう。顔がほくほくして気づいたら独り言連発だ!

おとといのブルベと昨日のエジソンロッカーズは楽しかった。
はっきりいって、パリもアムスもナイトライフ面では個人的にシケていた。地元のパブやクラブに行ったけど、私が行った所はどこもきどった客が多かった。地元のブルースバンドの演奏はかなりかっこよかったけど、お客が皆酒のみに来た客ばかりで演奏なんか真面目に聞いてない。パリはちょうどサッカーでアイルランドVSフランス戦があった直後だったせいもあって、町中にサポーターどもが溢れていて、ムーランルージュの街(パリで一番卑猥なところ)が一番強烈だったのだけど、路上に500人ぐらいのサッカーのユニフォームの若者からおじさんまでが集まり、ワイワイ叫んで夜通し踊り狂っていた。アイルランド人はとにかく大酒のみで一日中酔っぱらっていた。声がでかくまわりに絡みまくるのだ。ちょうどたくさんのアイルランド人がサッカー観戦にパリに来ていて、どこにいっても、緑ちゃんがバーで飲んだくれてて、面白すぎるのだった。
にもかかわらず、(サッカーでの熱狂は凄かっただけに・・、という話ね)ハイレベルなミュージシャン達のすごい演奏が目の前で繰り広げられてるっていうのに、バンドがカンゼンにBGMとして存在していて、そのひどい有様に愕然とした。ピエールバルーさんが戸川さんに「パリにはもうシャンソニエは存在していない。パリのシャンソニエのあの空気を今一番感じるのは青い部屋だ」って言っているのを聞いて「ウワー!」となったことがあったが、それは本当だったのだな、と思った。
一方、 アムスで行ったライブハウスでは、音楽に哀愁を求めるようなタイプを多く見て幻滅させられてしまった。地元のパンクバンドを見に行った時の事。ステージに向かって「ビートルズをやれ」と野次のように口々に叫ばれていた。そしてバンドはリクエストに応えてしょうがないといった顔で「ビートルズ」を一生懸命演奏していた。するとそれまで彼らの演奏を聞いてもいなかった老夫婦が立ち上がり踊り出したりするのだった。なんか妙な雰囲気だった。カバーの時だけ異常にウケていた。なんだかそんな生暖かい光景を見ていると、うんざりさせられた。
アムスというと、バキバキのテクノのイメージがある。しかしテクノ畑でいえば、東京のこないだ行ったケンイシイさんとyobeがDJをしたリールアップというイベントでかかってたテクノのが低音がいかした音だった。私が行ったところは、なんかシンセの音が田舎くさかった。だっさいパラパラが似合いそうなひと昔のテクノだったのには驚いた。にもかかわらず300人位がぎゅうぎゅうで踊っている・・。しかしアムスというとヒップなナイトライフというイメージ・・・いかしたクラブはどこじゃー!と叫んだ。(オランダ人は親切なので、ほんとに気軽に教えてくれたりする)それでスマートショップのナイスガイが教えてくれたクラブにも行ったが、イマイチだった。正直言って、今回はナイスなスポットには出会わなかったのだった。はっきり言って、東京の、青い部屋のブルベやUFOCLUBのエジソンロッカーズのが熱狂度が勝っていた。そしてイベントのクオリティも高いし、ショーとしても楽しめる。やっぱり東京は世界的にもリードしている都市なんじゃないかと思った。セックスショーもまた見に行ったが、ここは時が止まっているような錯覚に陥るほどに5年前と出し物が基本的に同じだった・・。月花女王がアムスでショーをやったら、大スターになるだろうと思う。

で、話を戻すと。

まず昨日のライブ。UFO CLUBに向かうタクシーの運ちゃんが「元バンドマン」だった。ルーシーがタクシーに乗って私の住むレッドルームまで迎えにきたのを待ち構えて飛び乗ると、運ちゃんが黒のスネアケースを見て「おぃ、これラディックじゃないだろうな〜」と言ってきた。「あ、ラディックですー・・」と言うと、「おお!じゃあ生音の良さを知ってるな!」とにやり。ギョっとする。既に車内では私が乗車する前から、音楽話で一花さかせていたらしく、空気がなごやかで熱かった。おじさんはさすがは元バンドマンで音楽に詳しかった。「おじさんはねー、タクシーに乗る直前まで、ライブやってたんだよ!」といって嬉しそうに話してくる。ピンクフロイドとかカバーしてたんだそうだ。自分のラストライブでは打ち込みで一人でベンチャーズとか演奏していたと自慢げに語ってくれた。30年前で1人打ち込みったら、スゴイ!!「プログレなサイケデリックとか好きなんですか」と聞くと、「もうなんでもきいてよ!」とノリノリに。かなりの通な話しぶりでニヤニヤしながら次から次で話が止まらない。私達がバンドを兄弟でやっているとわかると、「そりゃあ最高だ!絶対に続けなさい。」「血は水より濃いんだ。」とものすごい熱い説得を受けた。その強い言葉に、なにかうるうるしてしまい何故か勇気づけられながら「うんうん」と深くうなずく私達だった・・。あげくの果てに、ルーシーに自分の愛用していたレアなワウをプレゼントするといったり、気づいたらUFOに着くまでにすっかり仲良くなってしまい、「おじさん、君たち、いいと思う!」を連発し、ルーシーに電話番号まで教えてくれていた。降りるとき、「音楽はテクニックじゃない。気持ちなんだよっ。なにより自分の信念を貫くことが音楽なんだ。応援するよ。後で見に行くから!」という名言&やさしい言葉に見送られて、私達はおじさんに手を振って会場へ入った。そしてライブが始まる前。見た事もないほどの大きな花束が届けられた。なんと、さっきのタクシーのおじさんからだった。しかもメッセージが添えられあり、そこには「がんばって楽しいステージをして下さい。」と書いてあって、UFOの店員から「あとで間に合ったら行きます。」との伝言までもらった。ルーシーと感動した。


エジロカは私達はラストの演奏だった。インテグレイテッドスリィが初っぱなからハイテンションなライブをぶちかましたあとで、ヘイやバンビ、イベント自体がこれまたメチャクチャなノリでダンス天国化したり、変なオヤジがステージに乱入したり、ロッキンブルースな匂いのマーキーもかっこよかった。ヤスミンと泉さんは2連ちゃんで共演。色んなバンドが飛び出たので既にお腹いっぱいだったけど、お客さんも最後まで残ってくれてよかった。ハギー氏の絵画はドクロが印象的だったなぁ。あとフランスの国旗色の仮面達もいたような・・。
ライブは個人的には絶好調なノリではなかったけれど、でもこれからレコーディングに没頭するにあたっては悔いの残らないライブがやれた気がした。
ある方から「フランス帰りのJUNK the RIPPER's Drumは地下の匂いプンプンでかっこよすぎました。」との感激なメールが朝届いていた。泣きそうに嬉しかった。ついでにいうと、ライブ中、不覚にも私は満面の笑顔が出ていたらしい・・。ライブ中はあまり笑ったことなど無いけど・・。

前日のブルベも同じく何故かラストで、こっちはオールナイトだったせいもありロシアでひいた風邪がまだ直ってないせいもあって直前まで布団の中で寝ていた。
最近ブルベはあまり長い時間いないな・・。もっと早い時間に出たいなぁ。ローデッドも、久々の共演だというのに大好きなUP-TIGHTも見れずじまいで残念だった。白旗さんはいつもやさしい。またドラムのセッティングのポイントを教えてくれた。ブルベに出始めた頃から彼のドラムにかなり影響を受けているので嬉しくて背筋がピンと伸びてしまった。あの怪奇な血のしたたるようなヘビーサウンドに衝撃を受けた者として、おがたさんや青木さんからお褒めの言葉をいただいたのは光栄だった。けど。あの頃からくらべたら、そりゃ多少は成長しているのは当たり前だよなぁ〜・・。あの頃はバイオリンもいたし、スローで重たい曲ばっかりだった。それに比べたら今はかなり早いテンポの曲ばかり好んでやっているかもしれない。いつもライブで映像をやってくれるリザードメンも御休みだったので寂しかった。(お大事にね。。。)

ロケットトゥロシア(監禁)についてやパリの地下の事、アムスでの興奮話を早く書きたいけど、今日はもう遅いのでまた今度・・。


10月6日 パリの夢

長い長いらせん状の階段を気が遠くなるまで下へ下へと降りていった。そこには地下道が広がっていた。

先日、パリの地下トンネルで、何者かがつくった秘密の映画館が発見されたという。なんという!!!私は胸が躍った。秘密の映画館だなんて!
パリ中心部の町中にはり巡らせた地下道には秘密結社を名乗る芸術集団が数多く活動している。地下通路狂の彼らは「カタフィル」と呼ばれているのだ。見つかった映画館は約400平方メートルの広さで、スクリーン、座席、映写室のほか、バーを備えた食堂もあった。
“地下社会”をつくっているのは画家や写真家たちとみられる。英BBC放送は、 そのうちの一人の声を紹介した。男性芸術家は「地下で活動しているのは五百人から千人。 たくさんのグループがあって、芝居や展覧会、ダンス大会もある」と証言している。
地下映画館では、中国や韓国の監督作品のほか、アレックスプロヤスの『ダークシティ』、コッポラの『ランブルフィッシュ』、デヴィッドリンチの『イレイザーヘッド』、テリーギリアム『未来世紀ブラジル』など、破壊活動にふさわしい映画が上映されていたんだという。
うおー!!!地下でイレイザーヘッドなんて見た日にゃ・・・もう地上に戻れまい!!


5年前のちょうどこのぐらい。忘れもしない誕生日の日、私はパリのメトロの迷路のような通路で一人で大泣きしながら走った。その頃、不安と焦燥感にかられていた私は、そのまま知らない街のどこかへ消えるか溶けるかしてしまいたいと思った。あのとき、あの日の事は記憶から消し去りたいと思ったけれど、今でも鮮明に覚えている。パリの街はやたらと女らしいくせに現実的だった。なんて重苦しい街なのだろうと思ったっけ。でもそんな街に私は魅せられている。パリの地下のあの空気感はくやしいながら日本にはないものかもしれない。


・・・・ そんな矢先、カタコンベで行われるパーティの招待状を受け取った。いやまさか!でもほんとに・・?!いくしかない。カタコンベへ!私の恋い焦がれるあの場所へ!!今度こそスキップで。
ストイックでヒステリックな褪めた怪物が全てを支配する不思議な街へ!!

カタコンベの あの凄まじい風景の薄れて遠い映像がよみがえる・・!
きっと大きな旅になるだろう。
というわけで、明日、いざパリへいってきまーす。
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私信:DSMのみんなへ
皆さん。こんなタイミングで約束の地に旅立つのは私はちょっぴり心苦しいのですが、この期間、皆個人練に励もう週間ということにしましょう!
今日のような雨の日は素振りするもよし、雨音に合わせてセッションするもよし、デヴィッドリンチをもいっかいみまくるもよし、互いのラバーへ愛を深めていくことはもちろん、恐怖について真っ暗なトイレで考えて震えたり、お風呂の中で夢のようなことを想像することも、経験や思考、妄想がミラーズにつながってゆくと思います。私もあっちでいい刺激をもらってくるよ。こんどの録音大会には間に合うように帰ってきます。帰ったらまた、悪魔のつくった怪物や恐るべき子供たちの甘美な夢について話したり、一緒に音楽を作ろう。そいでは2週間後にまた!サリュー!


Les Mysteres De Paris
(↑カタフィルにおくるカタフィルのためのページ。パリの地下に興味ある方はぜひこちらの映像をごらんください。)

A l'arriere des taxis ( Noir Desir )

 



9月17-18日 HEY HO LET'S GO!


1,2,3,4!
I'm a shock trooper in a stupor
yes I am
I'ma nazi schatze Y'know I fight for fatherland

Little german boy being pushed around
Little german boy in a german town

Eins-zwei-drei-vier

Today your love, tomorrow the world today your love, tomorrow the world
Today your love, tomorrow the world today your love, tomorrow the world
Today your love, tomorrow the world


16日の昼過ぎ、自転車をこいでいる最中に電話が鳴った。ジョニーラモーンが10時間前に亡くなったという知らせだった。昼下がりにいきなり雷が落ちて心が引き裂かれたようになって、急ブレーキの音が誰かの悲鳴みたいに聞こえた。愕然とした。まさかそんなことはありえないと思った。ついこのあいだラモーンズの映画を見たばっかしで、その感動を日記に書いたりしながら色んな事をたくさん思い出していたばかりだったし、私の誕生日がジョニーとCJと同じで、また『おめでとう』を言おうねもうすぐくるねと双子の姉と話していたばかりだったし、なにより今度公開されるラモーンズの映画に・・・なんてこった。またひとつ別の大きな意味が加わってしまうことになるの?始まったとたん号泣でもしろっていうの?そういうのは、嫌だ。勘弁してほしい!でも悲しいけれど、事実なんだ。しょうがない!受け止めなくてはいけない。ラモーンズはラモーンズだ。だって、いつもすごく勇気づけてくれる音楽なんだから!染みったれた顔でラモーンズを聞いたりしたくない。そんなわざとらしい腐った真似はしたくはないよ。そんなの、Ma-ma-ma-mama's boyかD-U-M-Bじゃないか。間抜け野郎!

夜になって、ねえちゃんと話がしたくなった。お互いにやり場のない感情やRAMONESへの思いを遠慮なくぶちまけれる相手だ。話がつきないまま朝の光が差し込んできた。
朝になって私はわかった。1234! LETS GO!だ。ばかやろう!泣いても始まらない。

世界中の人々の心にRAMONESが生きていることに何も変わりはない!!
とっくの昔からもう胸の中のずっと近くにいるんだ!

ジョニー軍曹はさらさらのマッシュルームヘアを激しくなびかせてチェンソーみたいにギターを激しくかき鳴らす。今日も明日もあさってもこれからもずっと。あたしはラモーンズが大好きでしょうがないんだ。それはなんにもかわらないんだ。
ジョーイがwhat a wonderful worldを歌っているじゃあないか。


Rest In Peace Our Beloved JOHNNY RAMONE.
ありがとうジョニー!

 


Today Your Love, Tomorrow The World ( RAMONES )


9月12日

夜、新宿ロフトの[THE COVER」という 仲野茂さん(ANARCHY)主催のイベントにいく。土曜の新宿は、すごい人でゴミゴミしていたが、ロフト内もぎゅうぎゅうで暑かった。様々な出演者によるカバーライブは楽しいひとときだった。NO FUN(SHEENA+MAKOset)にしびれ、やらないか(サンハウス)で腰が砕けた。やらないかの歌詞は最高だ。鬼平さんのドラムは重くてかっこいい。最前列でビデオ撮影していたせいで耳がやられた〜。でも最高に幸せ!

補足; 11月よりシネセゾン渋谷にてレイトショー
ラモーンズドキュメンタリー END OF THE CENTURYの公式サイト:http://www.endofthecentury.com/
It's a very dark movie.It's accurate.It left me disturbed.(Johnny Ramoneのコメントより)



Shakin' All Over (Johnny Kidd & The Pirates)

9月11日 RAMONESのドキュメンタリー映画

親愛なる鳥井賀句りんから朝、速達が届く。11月に公開されるRAMONESの映画「END OF THE CENTURY」の試写会に招待してくれたのだった。なんと!ラモーンズのドキュメンタリー映画が公開されるとは。胸がざわざわした。渋谷の東芝EMI試写室へと向かう。
正直なところでは、こういう映画になっちゃうこと自体がイヤで、チクショウ!っていう気持ちもある。ジョーイが死んでからラモーンズが評価されたりストーンズと同じような尊敬に値するバンドとして世に認められたような風潮もあって、ロックンロール・ホールオブフェイムで受賞されたりジョーイが通りの名前になったり、なんだか過去の産物になっていくような気がして・・・。そんな悔しさから、映画を見に行くのに勇気がいった。でも見たい!!!

映画のラモーンズは私がラモーンズに抱いている感情そのものが彼らの姿としてそのまま映っていた。これは真実を描いた作品だと思う。感動して何度もうるうると感情がこみ上げた。RAMONESのパンクスピリッツがメンバーの語る言葉からじんじんと伝わる。時には動揺してしまうぐらいの衝撃的なシーンもあった。ストゥージズに狂ってバンドをはじめたという背景には衝撃と共感だ!!映像であろうと、やはりライブシーンはもの凄かった!目の前で体感してるような感触に陥るほどだった。ラモーンズの一番の魅力はあのライブなのだ。映像ではスーサイドのアランヴァガやテレビジョン、パティスミスや、アンディウォーホルがラモーンズのライブに魅了され、通いつめているというシーンも出てきた。映画にはたくさんのアーティストがラモーンズについて語っている。中でも当時のCBGBの店員のねえちゃんが「完全なコンセプチュアルアートだと思ったわ。圧倒されたの」と語っていたりして面白い!メジャーデビューにあたって「お願いだからナチだけはやめてくれ、ナチだけは」と言われても決して歌詞を変える事なく「俺たちは貫いた」とジョニーが誇らしく言ってるシーンはめちゃんこかっこよかった。あのサウンドは「お手軽に」1,2,3,4でできたものではなく、彼らの生き様の反映だ。日本では「革ジャンにコンバースにジーンズ」というラモーンズ・スタイル、そして楽曲のセンス、が強調されていて素晴らしさは知れ渡っていると思う。しかし全部一緒くたになって同じ「パンク」としてくくられることに私は違和感を覚える。フィルスペクターのEND OF THE CENTURYは、ポップでビタースィートな印象が強いし(私は好きだ)、一方でライブになると、彼らの音楽はCDの3倍ぐらいのスピードに進化し、めちゃくちゃ激しい。あのダークなユーモア、フラストレーションの爆発・・ラモーンズの激情からはじまった「パンクスピリッツ」。イギリスのクラッシュやピストルズに影響を与えてロンドンにパンクムーブメントを起こしても、ラモーンズのパンクスピリッツは唯一無二だった。

家に帰りながら、 ラモーンズのことを思った。私は小学1年の時、はじめてラモーンズと出会った。両親と暮らし始めてすぐの頃である。お父さんがレコードで聞いていた爆音のラモーンズが子供部屋に流れてきたのだ。私は「!!」となって部屋から飛び出して耳を凝らしてサウンドを聞いたら、びっくりして胸がときめいた。「ラモーンズっちゅうバンドよ」それ以来私はラモーンズに夢中になった。うまくなじめない学校生活にいつも夜寝る前、うんざりして絶望的な気持ちになったりしても、朝一番にラモーンズをラジカセで聞いて学校へ行くのが日課だった。毎朝聞いたラモーンズが勇気とパワーをくれたので、1曲聞き終わったと同時に勢いよく外に飛び出すことができたのだ。両親もラモーンズの熱狂的なファンであり親好も深かったから、ラモーンズが日本にやってくると親のまわりをちょろちょろして、連日のライブを体感することができたり、楽屋まで潜り込ませてもらったりいい思いをたくさんさせてもらった。学校生活はラモーンズとともにあった。一度だって、ライブを見逃した事がない。しかし例外として、高校のとき、ラモーンズのライブ2日目と修学旅行が重なったことがあった。1日目のラモーンズをお腹いっぱい楽しんだら次の日もやっぱり行きたくてたまらなくなっていた。翌日イヤイヤ東京を離れるとき、嫌な予感がした。次の日の夜、家に電話すると予感は的中!ジョーイたちが今、うちに遊びにきているという!受話器に向かって泣き叫んだことは言うまでもない。サイアクな旅行からぐったりして帰ると、ジョーイはもちろんいなかった・・でも台所の壁一面にでっかくマジックでサインがあったのだ!目が飛び出るほど嬉しかった今でも感激の思い出だ。一番最初に好きになったバンドをメンバーの人柄まで、ものすごく近い距離で知ることができたことは本当にラッキーであり、私はほんとに恵まれている環境で育ったと思う。 

映画、ラモーンズファンは絶対に必見です!!重要な音楽の歴史が刻まれた映画なのでラモーンズのファンじゃない人も見たら絶対面白いとおもう。というか生き方にびっくりするだろう。でもその一方で、わかってないファッションパンクスな奴ら(あ、もろ偏見だな・・・ハハハ)には見せたくないような、でも、パンクのスピリッツはこれなんだ、と知らしめたいような!BEAT ON THE BRAT!!
私はラストまで見るとなんともいえない複雑な気持ちが残りました。無言に陥ってしまうぐらい重い映画でもある・・。20年の間に色々なことが起きて、それでもラモーンたちが音楽で一つに結ばれている。それがすごいと思った。みんなラモーンズを最高のバンドで俺たちが一番だと信じてやってる。そこが痛い位伝わって涙がでた。勇気がわく真のドキュメントだと思った。映画の衝撃は、自分で味わうものだから、内容は書かない。じっくり自分でその衝撃を味合わなくちゃいけない映画だ。そして付け加えるならば、なんというか、商業主義の世の中に対しての嫌悪の気持ちが爆発する映画でもある。


とにかくラモーンズがすごく愛おしくてたまらなくなる映画[END OF THE CENTURY]。
11月に上映されたら、今度はねえちゃんやバンドのみんなを誘ってもう一度行こうと思う。


Rock `N' Roll High School (RAMONES)


9月3日 エジソンロッカーズとブルーヴェルヴェットナイト。

 


暑苦しい !! やっと9月になったというのに、まだまだ暑い。どうなってるんだ。夏は本当にうんざりする季節だよ〜そろそろ終わりにしてほしい。
景気づけに革ジャン4着にオイルを塗りたくって磨いた。目の前に黒光りする革のかたまりが転がっている。ワクワクする光景である。ああ秋が待ち遠しいな・・・。あの切ない感じが恋しい。
夜、スイスから2ヶ月ぶりに帰ってきた幼なじみに会ってスイスの話を聞いていたら、スイスは世界で自殺者が最も多い国だと言う。のほほんとしながら公園で一服してるようなイメージを抱いていただけに驚いた。なんでも一日中どんよりしていて天気が悪く、そして日がすぐに欠けり夜が長い、そんな生活環境が脳のどっかに悪影響を及ぼして、死の欲求が高まるという科学的根拠まであるんだそうだ。パリだっていっつもどんよりしてたように思うけど、スイスはもっと不安をかき立てられるぐらい病的だってこと?その空気感とは一体どんなものだろう。東京は今日もくそ熱いっていうのに。


先週はライブが2連チャンであった。エジソンロッカーズとブルーヴェルヴェットナイト。どちらも私の大好きなイベントだったので出演して楽しかった。来てくれた皆さんどうもありがとう。今回、日付が近かったこともあり同じ青い部屋で開催することもあって、匿名のイカレ帽子屋らから近すぎるではないか!と抗議などもあったりしたが、しかし私はこの二つのイベントは、印象も感触も全く異なった空間だと感じている。色にたとえるならばエジソンロッカーズが赤と黄の自然現象であり、ブルベは黒と紫の超常現象といったところ。
別の言葉でいい変えれば(言い換えなくても別にいいんだけど)、前者がバタイユ的『時計仕掛けかそれともカオスか?』に対して、後者はフッサール的『存在-時間-世界』といった感じ。エジソンロッカーズは衝動や恐怖といった直感的感覚に揺さぶられるのが好きな冒険家、好奇心おう盛な人が集まるイベントに思う。一人一人が面白がって楽しんでいる空間なのですごく刺激をうける。一方ブルベは大人の怪しい秘密クラブな社交場で様々な芸術を披露する出演者はショーとしての完成度も求められている感じがある。音楽にうるさいお客さんも多いためか直観的で客観的な知的空間でもある。ライブ中、ガラスコップが飛んでくるんじゃないかって思っちゃうぐらいヒンヤリ張りつめた空気が時に痛いときもある。斜め下からの白い視線にフンなにさ文句あるか!ってにらみ返していた時期もあったけど、あるときから全く気にしなくなった。あの独特の緊迫感は他では味わえないものだと思う。41回も続いているブルベ・・本当に首謀者鳥井賀句氏の持つエネルギーとやさしさには感謝である。

今回のエジソンロッカーズでは、首謀者エジソンが「目くらになるまで目を閉じることができない人間がいる。」とステージで言い放ったのが印象的だった。この言葉を聞くのは2度目である。先日、エジソンと内的恐怖体験について話しているとき、受話器の向こうから、うわ言のようにつぶやいていたのを聞いた。今書いている小説の一文らしい・・。インテグレイテッドスリィは逆さまに転がってく破壊のパワーが尋常ではない。崖の下から何度でもはい上がってくる感じがキレててすごかった。

ブルベのオールナイトは事情あって最初から参加できなかったけど、リザードメンから月花女王のSMショーの話だけはしっかりと聞いた。なんとヘビが登場したらしい!蛇が月花女王の体にクネクネと巻き付いていくのを想像して、ゾクリとした。見れなくて悔やまれた・・。私達はラストだったので、いつもより長めに演奏できた。1曲目でネロのギターの弦が切れ、そのスキに怪奇なセッションが誰かれともなくはじまり、嬉しくて楽しくてノってしまった!ここ最近で一番いい演奏ができた気がする。
黒ダビデのソロを見るのは2度目だった。ピアノ弾き語りに今回はみやざき氏のギターも加わって、孤高な退廃美をかもしだしていた。私にとってのノスタルジックな世界がそこにどうもあるみたい。あの日以来、アムスのダム広場のケルメス(移動遊園地)の情景が頭をかすめる。ぎらついたネオンと割れたオルゴール音楽が流れ回転木馬がゆっくり回っている幻想的な風景が・・なんか急にまた行きたくなってたまらない。それからはじめてみるLOIさんはジョニーの Can't Put Your Arm Around A Memoryを日本語で歌ってて、ぶっきらぼうな歌い方と毒のある歌詞にじーん・・。リアリティなどない!と叫び続ける歌も強烈なインパクトだった。

今回、ブルベのPAをISABONがやってくれたのだけど、彼はつい先日勤めていた一流レコーディングスタジオを辞めてきたばかりだった。こっそりと忍び込んでは深夜に何度かダークサイドミラーズをレコーディングさせてもらったこともあったでっかいスタジオだった。わけを聞くと納得した。そんなものはクソッタレだ!お仕事くさいディレクターがオタクエンジニアをしきる現場、アーティストとの共同作業といった感覚からほど遠い使い捨て流れ作業にCCCD製造工場化、古いしきたりの体育会系年功序列・幼稚な主従関係、あげくに押し寄せる不況の波。いつリストラされてもおかしくない経営状況。バビロンシステム IS BURN FIRE!! しかし音楽にひたむきな愛を注ぐISABONのような人間を失うというのはスタジオ側にとっては大打撃じゃないかと個人的には思う。イサボンエンジニアを独占できて嬉しいけども・・。そして心からお疲れ様といいたい。
とにかくレコーディングは始まったばかり!じっくりやろうと思う。

昨日DVD録画していたニュース番組をみていたら、中に夜のニュース番組中に高田渡さんのインタビューが入っていたので、「おーナイス!録画」で食い入るように見てしまった。何を隠そう「ごあいさつ」は私の愛聴版だ。(バナナジャケといったら、ヴェルヴェッツより高田渡である)アイスを食べながら「〜私の恋人よ」とつい口ずさんじゃうくらい、中でも「アイスクリーム」が私のお気に入りである。
インタビューでは、今、 イラク戦争がおきているから、「自衛隊に入ろう」が今の時代の旬の歌として若者らにカバーされている(げげ、そうなの?)と言って本人に「いかがですか」と意見を求めていた。渡さんは憤慨した表情で 「どうでもいいけど全然違うんだよ。旬ってサバじゃないんだから。発想がとんでもないんだよ。この歌の意味合いが、変わってしまうでしょう」と言って怒っていた。あの時代だったから、歌う意味があった。当時はみんな誤解してくれて、『やったぜ』と思ったそうだ。「なーんだ こいつら右も左も紙一重だぜ」と思っていたら、すぐに放送禁止に・・。そんな背景があったそうだ。放送禁止歌までになったあの歌(の背景には高田氏のちょっとした遊び心があった)をいま「反戦歌」としてマジメに取り上げられても、皮肉にもならないし「意味がない」んだバカヤロー!そんな気持ちなんだろうかとも思う。昔、うちに渡さんが遊びにきたとき、酔っぱらってべらべらしゃべっていると思ったらいきなり動かなくなったので子供ながらにびっくりして「大丈夫ですか」と激しく体を揺すり倒したことがある。死んだんじゃないかと思ったのだ。TVでも吉祥寺の焼き鳥屋「いせや」でインタビュ−中なのに、かなり酔っぱらったまま鼻をたらしながら寝てしまったので、おかしくて大笑い。 「反戦、反戦って馬鹿みたいに叫んでるのは中途半端なんだよ。日常の歌を歌うことがほんとの反戦でしょう」と淡々と言いながらウトウトしてる姿に心がほんわかした。ほのぼのした日常・・。つげ義春の世界を連想してしまった。


Woe-Is-Uh-Me-Bop ( Captain Beefheart )


8月7日 光の中のルーシークレープ


青い部屋の年に一度の夏祭りがやってきたらしい。今回はじめて参加する事にした。バンドでクレープ屋をやることになった。というのも、ルーシーがもともとプロのクレープ職人なこともあって、話の流れでそう決まってしまった。たまには音楽とは別で皆で集まって何か一つの事をやるのはいい気分転換かもしれない、そう思って私はこの日を心待ちにしていた。そして当日はやってきた。
まずはクレープの生地づくり。ルーシーは手慣れた手つきで発注した特別な白い粉を使い、テキパキと卵と牛乳と白い粉を泡立器で混ぜ合わせてゆく。すべてにおいてこだわりがあり慎重な手つきはまさにプロだった。聞くと生地づくりが一番肝心らしい。クレープを焼くのはルーシーしかできないため、私はデビルウェイトレスとしてルーシーのアシスタントと、暇しのぎにいそべ焼き係とソースせんべい係を受け持つ事にした。ネロはきんぎょすくいのきんぎょを買いにいったりお店の主とあってなんやらかんやら、終始上と下をいったりきたりしていて全然クレープ屋を手伝う余裕がなさそうなので、下の部屋の注文取りは死神ジョーとその友達達にお任せして、ルーシーと私とヤジこでお店をまわすことにした。
青い部屋は夜8時を回るとぞくぞくと人が入ってゆき、クレープの注文もぞくぞくと入ってきて、初っぱなはどうなるかと思ったぐらいに忙しかった。しかも暑くてずっと外にいるだけで汗だくだった。夜更けには黒ダビデをはじめ青木さんもおばちゃんと一緒に来てくれ、ケンタロウ・・YOBE、ルーシーの助っ人にかけつけたクレープガールたち、そしてたくさんの顔見知りの友人から見知らぬお客さんが食べにきてくれた。サエキけんぞうさんがルーシークレープを食べるなり「これはうまい!」と手を叩き何枚も連続で食べてくれたり、デミセミのエミちゃんに通りすがりの冷やかし不良外人集団、お店のお客さんで朝まで青い部屋は中も外も大にぎわいだった。丑三つ時になると、みんなで恐い話大会!あまりににぎやかな中だったのでムードには欠けたが、ワクワクしたひとときだった。

 


奥の怪しい光がクレープ屋。お店の外はオープンカフェに変身!




夜明けが来る頃には、その日たてたクレープの生地は見事に底をつき、いそべ焼きも完売に!大量に用意したソースせんべいが(じゃんけんゲーム付きで大好評にもかかわらず)大量に売れ残ったのが不可解であった。具の混ぜ具合が悪かったのかしら・・・それとも・・・。実はマジカルスパイスをチョチョチョッと振りかけてメルヘンな気分にさせようとしていたんだけど、刺激が強すぎたかしら・・おっと!企業秘密を漏らしてはいけない。まあそれはよしとする!しかしこのたび、意外と材料費がかかってしまい、赤字であった!他にも焼きそば、フランクフルト、かき氷などが売られ、中ではヌードショーまであったり、ごったがえした青い部屋は朝までお祭り騒ぎが続いた。青い部屋って・・考えたら、エロティックとグロテスクの巣窟だな。

朝日が昇る頃、お開きになったのだが、 最後の最後で一発いつものあれが勃発・・・。ネロはかなり酔っぱらっていたようだった。酒は一番下等なドラッグである。私は好まない。現場に居合わせた人には凍らせる思いをさせてしまい申し訳なかったが、感情の爆発というのは原因も結果もたいして重要ではない。爆発させる事に意味がある。むしろ爆発させなければいけない。人間だもの。しかし2つの教訓もある。疲労というのは理性を失う!お金がからむとろくなことがない!
片付けをし終わったら、みんなヘトヘトで座り込んだ。アニマルズの「朝日の当たる家」が頭で流れ始める。ああ・・・なんだか切ない。
きっともうクレープ屋はやることはないだろう。
なんといってもルーシーがお疲れであった・・。この日のために全部の準備から何から大変だったと思う。



来てくれたみなさんTHANK YOU!


8月5日フラッシュランプ付きメトロノームへの挑戦


やっと年に一度の大仕事を片付けたので、やりたいことを順番にやっている。まず大掛かりなことから取りかかることにした。
そういうわけで青い部屋に置いてるドラムが痛んでいるのが前からずっと気になっていたのでメンテに持って行った。タクシーにドラムセット全てを詰め込み、行きつけのメンテ屋まで乗り付けて運んだ。タム類は相当重傷だったので全部とっかえ。バスドラについてはペコンペコンで枠にヒビが入って一部欠けていた。まさに瀕死の状態。このまま使っていたら完全に「死」だったと言われ、あちこち修繕しなくてはいけないというので2,3日入院させることにした。店に置きっぱなしにしてるから多少は痛むのはしょうがないと思ってるけど、はっきり言ってみんな使い方がひどい。シンバルなんかもともとあったやつは既になくなって変な安っちいのにすり変わってるし・・。リハスタの楽器じゃないんだ馬鹿やロウ!けど店の楽器の扱いなんて本来使ってなんぼ、そういうもんだろうとも思う。でもドラムやる人もっと大事に使ってほしい。60'Sのロジャースっていったらかなり名器なんだけどな・・。まぁそんなこと知ったこっちゃないっていうのが普通かな。

次にドラム。 それから2度目のレコーディング。
前回やったレコーディングがベースの失踪によりライブアルバムになってしまったこともあり、今回はちゃんと1からやってみようということになった。個人的には一発録りが理想なのだけど、話し合いの結果やっぱりライブとはひと味違う音作りを試してみたいということになり、音を重ねていく録り方をすることになったので、つまりは重ねるとなると、最初に電子メトロノームに合わせて叩かなければいけないという。
まずはドラム録りだ。よしやってやろうじゃんか!とノリノリで始めてはみたものの、かなりがっくしだった。新たなメンバー「クリック野郎」は頑固だった。至って冷静にばかみたいに刻み続けてるのだ。ヘッドホンからカチカチいう機械的な音を聞きながら、みんなの演奏も聞いて叩いていると両手を端と端から引っ張られて引裂きの刑みたいで苦しのなんの。もともとDSMの曲は1人作曲者がいるわけではなく一つのテーマをもとにしたセッションから曲になっているので、最初のクリックのテンポが曲の後半では全く意味がなくなっているのだった。一曲ずつテンポを割り出してみると途中にかなりのヘン拍子が組み込まれていることがわかり、こうやって曲を別の視点から分解する作業ははじめての事だった。また壁にぶち当たった。
気づいたらみんなして出だしからクリックを完全無視して自由に演奏する始末。「これじゃあ意味がない」isabonエンジニアはあきれた顔で言い放った。
私のドラムは自分でもわかっちゃいたけど、相当前ノリでかつ周りの音に触発されるとすぐに1人暴走しがちなのだった。何度もダメだしをくらう。何度もやり直し。ダメだしをくらい続けるうちにむかついてきた。さらにクリックの音だけ聞いて演奏してると面白みがなく白けてきてアホみたいな気分になった。感情がだんだん薄らいでくると、もうこれは勢い一筋何百年をとるか全体のサウンドのクオリティを取るかの問題ではないかと感じた。内心クオリティなんかクソくらえだった。それよりも曲の物語性の方が重要だ。平常心で淡々と同じリズムを刻めというならリズムボックスと同じじゃないか、感情を押し殺してるみたいで人間味がないじゃないか!と苦し紛れに反論してみたが、自分の負けを認めているみたいで悔しかった・・・。ここだけの話、私のドラムは誰か師を仰いだことはないどころか出たとこ勝負の思いっきり感情に左右されるブードゥーリズムだった・・。クリックがなんぼのもんじゃい!!そんなこざかしいもん必要ないわい!機械の言いなりなどなるものか・・・と思った瞬間、重要な事を思い出した。あのRAMONESだって・・・!

TOMMYのフラッシュランプ付きメトロノームを音速にセットして録音された「ラモーンズの激情」こと '76年の歴史的名作1STアルバム。ビートルズの1STアルバムに習ってギターとベースを片チャンネルずつに分けて録音されてる本作は最初のサンプル盤をカッティングした時、あまりの音量のばかでかさ高価な機材がブッ壊れたという。
(DSM-BBSから抜粋。投稿者:コカイン氏)

ああ恐れ多くてひれ伏してしまう。説得力をもって突き刺さるこの上記のテキストが今のしなだれた私を突き動かす唯一の原動力となっている。ロック第三帝国に住む氏は私にとってはいつも道先案内人だ。・・・・コカイン氏に感謝である。
そうだ・・・たかがクリック音なのだ!今は完全にやられっぱなしで曲のアレンジまで口を出せないけど、次の録音大会までには「へ」と思えるぐらいまでものにしてやろうと思う。
反撃はそこからである。
願わくば、この個人ミッションが成功した暁には、メトロノームを爆破したい。

 


7月16日 深夜の病院


この3ヶ月の多忙&極度の睡眠不足による自然な流れである。私は昨日ついに体が壊れてしまった。昨日の朝方のことである。

私は腹部に走る激痛にのたうちまいながら、体から嫌な汗がじっとりと出たままのだらしない姿で這って家から出ると前の通りでタクシーを止めた。古くからある木造の小さな建物、その名も近所の緊急病院に乗りつけてチャイムを鳴らした。
この病院は普通の病院に比べ、木造でどことなく寂しい雰囲気があり、1943年のヨーロッパのようなもわっと不安定な色が浮き上がっている。また、壁の汚れている具合から見てかなり年季の入った古い木造だった。なんとなくきたならしいことから、私はその病院に対して陰湿で暗いイメージを持っていた。たまにその病院の横を自転車で通り過ぎるときは、入り口の脇に3つ4つ並んで置いてある大きなステンレス製の医療用ゴミ箱(そこから透明のビニールがはみ出していて、そのビニールはなんともいえない無機質な冷たいムードを作りあげている)が、目につく。なんとも嫌な感じだった。

・・・じっとりとした汗をかきながら、まさかこんな夜中の3時過ぎにここに来ることになるとは・・と思っていると、看護婦がカーテンの向こうの暗闇からパタパタとナースシューズの音を立てながら走ってくるのが見えた。
ドアを開け、そばまでやってきた。深夜ということもあって、当直中のナースはみだれた髪のままナースキャップが斜めに頭にのっかっている。
・・きっと寝ていたに違いなかった。申し訳ない気持ちと同時に「ついにここまできたか」と落胆・・。
私は半分、朦朧とする意識の中で、情けない自分を傍観した。「大丈夫ですか〜」と支えてくれる腕にもたれながら、真っ暗な廊下をもつれた二人三脚のようによたよたと2人で歩いてゆき、角の古びたドアをガチャッと開けた。
中は真っ暗だった。床をギシギシとならせながら、看護婦はパチパチと電気をつけると、クーラーのスイッチをつけた。しばらくするとブーーー、と音を立ててクーラーが起動し出した。
ブーーブーーーーブーーー。
木造りの硬いベッドに横になっていると、突然ドアがガチャっとあいた。 さっそうと早足で白衣の先生が入ってきた。先生の顔が白い。(色白)
「どうしましたか」「お腹が痛くて痛くて・・・何かあたったみたいなんです」「何を食べましたか?」「夜の9時頃、冷凍したトマトを食べました。それをさっきも吐いたので、原因はトマトだと思うんです。」
先生は私の答えには無言のまま腹部に手を当てると、3カ所をゆっくりと力強く手を押しつけた。「ああああ〜」3カ所とも鋭い激痛が体を突き抜ける。3度目の悲鳴を聞くやいなや、先生は看護婦にドイツ語風のカタカナの2語を言い放つと、看護婦は手早く薬品の入った木の棚に近づき、なにやら背を向けてカチャカチャと音を立てていた。看護婦の腕のあたりから目が離せない。何が飛び出すのか、今か今かと看護婦の手元だけをじっと見つめていた。ブーーーーブーーー。夜中の診察室にけたたましくクーラーの音だけが響いていた。
その瞬間、こっちを振り向いた看護婦は見たこともない太さの注射器を持っていた。私は思わず息をのんだ。
右腕に注射の針がささる瞬間まで、どのくらいの時が流れたのか、わからない。チクっとしたかわいい小さな尖った痛みが腕に走ると、ゆっくりと時間をかけて何か透明な液体を注入された。不思議とさっきまでの激痛がなくなっていた。「あの」麻酔とは違う、体の感覚がすぅーっと麻痺してくる、ぽわわんと体の力が抜けて軽くなってふわふわな、けどどっか深いところが、鈍くマヒしてる感覚だ。当たり前だけど、注射の効き目ってやっぱりすごいのだなぁと思う。飲み薬より即効性がある。終わってゆっくりと立ち上がると、目の前がぐらぁ〜んとした。まっすぐ目を開いても、どうやら目の焦点が合わなくなっている。
私は思わず「あれは・・・なんだったんですか?」と聞くと、先生は背を向けたまま日誌のような紙切れにひょろひょろな文字で何かを書きなぐりながら、一言「急性胃炎です」とだけ答えた。
深夜の病院は高かったけど、胃薬と痛み止めを大量にくれたし、(一時的とはいえ)激痛を一瞬で消してくれた。何事も見かけで決めつけてはいけないのだ・・!なかなか信用できるしっかりした病院だったのではないか、頼もしい緊急病院でよかったな、と思った。

このクセになりそうなふわふわ感に身を任せながら、私は夢遊病者のように来たとき同様だらしない姿にくわえて薬袋を片手にちどり足でタクシーを拾った。

深夜の道路は車のライトがまぶしく、さっきまでの出来事がまるで「覚えていない悪夢」のように遠い記憶・・・・。

she cracked ( Modern Lovers )


6月26日 funeral rites


ルーシーが紫の煙りを噴射して、ゾンビ達に魔法をかける時、暗闇の中でうごめくものが何かを知りたい。
今日はダークキャッスルという世界各地から集結するというダークサイドなイベントで、そのラストにDARKSIDE MIRRORSで演奏するということが決まっているので、今からワクワクしていて、夜中まで何しようか考える。『インザシャドウオブモータウン』という映画を見に行く誘いがあったので、面白そうなので行くことにしたけれど、ただ約束の時間に外に出れるかが問題だ。
クーラーの効いた部屋で4つのスピーカーの真ん中でソファに寝そべってレッドクレヲラをきいていると、足がぐにゃぐにゃして頭がシューシューと抜けていきそうだ。
前にレッドクレヲラ中毒になったとき、夜中だったので、なんて麻薬的な音楽なのダとつばをのんだときがあったけど、今日みたいな気持ちいい光が差し込む昼間のけだるい時間帯にきくと、素晴らしい開放感と白昼夢的な幻覚にうっとりしてしまう。こんなに美しく退廃した世界だとは気づかなかった。新発見!!

ああー・・・こんなに気持ちのいい日は、これから何時に寝て、何時に起きて今日一日の予定をすごせばいいのか考えただけで、もう何でもいいわっていう気になってしまう。
時間がきたら、きっと誰かが電話してくれることを期待しようっと・・・。
なぜか胸騒ぎ。


6月19日 エジソンロッカーズとカッターナイフ

追記:私達のライブ中に描かれた画伯の絵は私はちゃんと見ていなかったんだけど、ビデオでやっとその全貌を見ることができた。
ビデオによる記録によると、私達のライブ終演後、ハギー画伯によって描かれた3枚の絵がステージに並べられた。なんとその絵が、その場で戸川昌子さんによりオークションにかけられるというハプニングがおきていたのだった。3枚の絵はそれぞれの世界観を持ち、一番左は女の顔がどアップで描かれその顔はものすごいグロテスクな表情だった。Kという意味深なイニシャルが頭に描かれ、それが気違いの象徴のようで、一言でいうと「奇抜」そのものだった。真ん中は例のキレたかっくいい絵、そして右端は私達のライブ中に描かれた絵だった。その絵は車に乗った金髪の髪をしたサングラスの赤いドレスの女が真っ正面に向かっている。そして大きな手が向かって斜め上の方向に指を指している。先にある「何か」を暗示しているような確信的な絵だ。車はその絵を突き破ってそのままこっちに突っ込んでくるかのような暴走している激しい描写で、女の左上にはサイケデリックな空間が広がり、右側を女の乗った車を覆い込む緑色の世界が広がっているという、ポップアートであり、なにか確信に迫られた時のスリルと醒めた感覚が混在している絵だった。私が楽屋から出てきた時には既にこの絵は誰かにもらわれた後で見ることができなかった。ああどんな絵だったのかなぁと思っていただけに、ビデオを撮ってくれた青木さんに感謝!この3枚の絵、私が観客でそこにいたとしたら、それぞれが強烈な個性をしているだけに、どれか一つを決めるだけでも悩んでしまっただろうなぁ。ああでも、やっぱり最後に描かれた絵をもういちど見たい(というかほしい!!)戸川さんがマイクで「この瞬間の魂が中にしっかり入ってるんじゃないの。ばかもの!そんなこと(※破くことになっていたらしい)しちゃいけないよ!」といつもの調子でエジソンに言い放っているやりとりが入っていて面白かった。私達の音楽とその瞬間の空間と画伯のインスピレーションが一枚の絵になったなんて、ほんとに素敵。画伯に乾杯!
戸川さんが最後に突然「ラストダンスをわたしに」を歌って、おしまい〜。崩壊へと向かったエジソンロッカーズVOL.3は見事に逆さまに乗り上げたのだった。
(〜エジソンロッカーズ追記おわり)
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最後の最後になって、 まさか本当に逆さまに乗り上げてしまったとは!

エジソンロッカーズは、この2ヶ月の多忙で機械的な日常を吹き飛ばすぐらいの濃い充実感だった。お客さんもたくさんいたし、めちゃくちゃ楽しい空間だった。妖怪Hey3人衆は地に足をつけているのに体が浮く超常現象チックな世界に引き込まれ、インテグレイテッドスリィは今回も異端・混沌・魔攻め攻撃で地獄の釜の底のような熱気にのまれた!みみのことは、サイケデリックなエクスタシー。すごいサウンド。私は途中突然泣きたくなった。声を上げてワーンワーンとめちゃくちゃに泣きたくなった。(我慢したけど、それが夢で出ちゃったのかなぁ・・・?)今回、画伯がライブに合わせて絵を描いていて、その絵がとても素敵だった。ステージ横に立てかけられた大きな紙に赤や青や黄色で時に激しく力強く一本の筆で描きなぐられてゆく。その絵はまるで生き物のように次々と形を変え、あるときは美しい女の顔だったり、それがグロテスクに崩れたときには、世界の終わりみたいな絶望的ではかない夢が浮かんだ空のようになり、そして気づくと13thフロアーのピラミッドの目玉のような残骸を残した、頭が冴えまくった時に興奮してぶっ飛んじゃった時のようなキレたかっくいい絵になっていた。色々な世界が重なったマジカルミスティックな抽象画たちだった。それを時に画伯は激しく破いてしまうから、見ている私はたまらなかった!ああ、なんてこと!!・・・秩序と美、豪奢、静けさ、はた快楽・・・。( 我々はラストだったのでハイテンションな曲だけを5曲やった。)

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そういえばいま先の事件によって、子供にとってインターネットは悪影響だ、といった短略的な発想で法律を審議しているようだが、これはそんな表面的な話ではないと私は思う。
そもそも犯罪が起きると、それを防ぐために単に「禁止する法律」を作ればいいというのは、そんな浅はかな発想で世の中は変えられると思っている事自体、間違っている。そんなことをしても犯罪はどんどん低年齢化していくだけだ。大人も子供も関係ないこれは人間の理性とモラルの問題だ。世界中の情報を瞬時に知れるような便利な世の中にもかかわらず、時代遅れな戦争が繰り返し起きていることの異常さや、どうしてイラク戦争が起きたのか、その理由なんか子供は全く知らないんじゃないかと思う。既に大人でさえそんな基本的な善悪の判断基準が抜け落ちて無関心だったりするのに、それはダメだ、あれはいい、とか勝手な都合で上から押し付けたって、そこに理性だってなければモラルもないし、説得力なんかないんじゃないかと思う。
思いやりや想像力が乏しければ、殺し合いだって当然起きる。一人の人間の命の重みに対して「自己責任」とかいううさんくさい妙ちくりんな言葉で白い目を向ける冷淡な社会や、戦争を正当化している現実の世界の方が子供にとってよっぽど悪影響なんじゃないかと思う。教育機関にしても、子供の学習能力が低下してるからって教科書を易しい内容に改訂するのではなくて、子供に何を教えるべきか根本から考えなくてはいけない時代になってしまったのかもしれない気がする。しかし考えれば恐ろしい時代になったものだ・・・。



6月18日 残りの3時間。

 

朝方、誰かの泣き叫ぶ声で目が覚めた。泣いているのは自分だった。怖い夢をみたせいだった。

その夢:
インテグレイテッドスリィのトミー氏とスーサイド氏が、「ヤー!」っと叫び声を上げながら戦闘車に立ち乗りしながら、ものすごい勢いでこっちにやってきて(ライブさながらに)白目を向きながら通り過ぎざまに、銃をバンバン打ってきて、私の隣に立っていた母の左胸に、その玉が当たった。私はびっくりして母に大丈夫かと聞くと「これぐらいぜんぜん大丈夫よ」というけど血がいっぱい出ているので、大変なことになった!と怖くなって、いそいで母を抱きかかえて逃げた。家族と二匹の犬も連れて必死に逃げてalpha cityの例のモーテルに立てこもった。しばらくして外に異様な気配がするので外が気になってしょうがない。ふと部屋の裏口にドアがあった。そこを開けて外に出てみると、鉄格子があった。その向こうでは血走った顔をした人が至る所にいてキョロキョロと誰かを探すように歩いていた。なんだか普通じゃない。私の気配に気づいた男と目があったら、突然、カマを振り上げて走って襲いかかってきたので、慌てて部屋に逃げ帰って鍵をかけると、今度はモーテルの入り口のドアから知らないカップルが2組、3組と次々に部屋に入ってきて、小さな部屋は3,40人の人ごみでぎっしりになってゆく。ここは淫行パーティじゃないから出てってほしいと言うと、みんなここが自分の家なんだと言う。父はそんな中でレコードをかけて1人落ち着いて音楽を楽しんでいる。姉は疲れたと言って床にうつぶせになって眠りだした。私は母の体が心配でどうしていいかわからなくなって混乱して泣き叫んだ。

その声が、それが現実へと繋がったのだった。久々にたくさん寝たら、チープなB級ホラーな悪夢に精神を破壊されてダメージを受ける始末・・・。目が覚めても、夢で感じた何かを失っていくことへの悲しさみたいなものが現実にも色々あてはまって、どうしょうもなく涙があふれて嗚咽が止まらないので、そのまま思いっきり泣いた。こんなに声を上げて泣いたのは、いつぶりだろうか。ああ一人の時でよかったと内心ほっとした。キティ飼い扱いされてもおかしくない泣きっぷりだった。
しばらく放心して、なんでこんなに泣いちゃったんだろうかと考えた。おそらくきっと、涙がたまっていたのかもしれない、きっとそんな単純な理由なのだろうと思った。時計を見ると、朝の4時半。やけにすっきりしたので、また寝た。泣くことは体にいいことなんだなーと思った。こんなに嗚咽まででて泣いたのは子供の時、おじいちゃんとおばあちゃんが亡くなった時以来だったきがする。大人になると、泣くのを我慢するようになるけれど、そういう我慢は体によくないように思う。ふと思い出したけど、精神医学で『喪の仕事』という言葉がある。それは、大切な人や物を失ったときに生じる悲しさから逃げたり、目を逸らしたり無理に忘れようとしないで、きちんと悲しむ、そして自力で立ち直っていけるのを待つ。 という意味があるのだそうだ。
その発想からいけば、ダウナーなとき、無理にアッパーになる必要はない。最近、落ち込むことが立て続けに起きていたけど、いつのまにかちょっとずつ抜けていってる感じ。

このところ一日の長さがわからない。
さっきは朝だったのに、はっと我に返ると外が真っ暗で日付が変わっている。今日と明日の区切りがなくなって狂っている。
疲労したぼろぼろの体を実感しながら峠の我が家に帰ると、まずはコーヒーをたて、乱れた気の流れを落ち着かせるため、お香をたいて、ヨガをやる。(ヨガ教室に通っていたのは中学生の頃だったけれど、意外とそれが今役立っている。)そうしてふと窓を見ると外が明るくなっている。鳥の鳴き声を聞こえてきて、カーテンに注ぐ日の光を浴びながら、バッタリと3時間眠る。目が覚めると、14時間のDTP拘束が待っているのだった。
時間が足りないというのはこういうことをいうのだろうな。一日が24時間ではどうしても足りない。プラスあと6時間ぐらいはほしい。体は疲れているのに、頭がぜんぜん疲れていないのだ。その14時間の労働の間に外部からの刺激はゼロ、影響もゼロに近いからだった。唯一その日深夜をまわってやっと訪れる数時間だけが自分にとって有意義な時間だ。私の仕事は主にひらめきと先読みが半分、集中力とそれが切れた時の忍耐力。そしてそれをいかにリズミカルに日々こなすか、である。そこには持続力が必要だ。ここが一番きついところだ。(気がつくと意識を失って爆睡していたりするのである・・!)こんなときは、ゴルゴの心意気だ。プロに徹するしかない。
そんなわけで、このところ1ヶ月は睡眠時間が4時間をきってしまった。しかしこれでは疲れも取れないのは当たり前だ。でもだからといって、疲れて帰って、ただ寝るだけの毎日は、ただ腐っていきそう。そんな我慢くらべみたいな生活をしてアンバランスな満足感を求めてきたけれど、やはり体は正直だった。体力には相当タフな私ではあるが、そろそろ限界を感じている。しかしこの生活もあと半月の勝負だ。

明日は6日ぶりに解放される日なので、自由を満喫したい!




5月22日 weirdな夜


今回のブルベは、こないだクランプスのスリムチャンスぽい髪型がいかすビクターのアンドーさんがDJしていて選曲がこれまたロンドンで行ったクラブみたいな感じで楽しかった。(アレックスチルトンの「バンコック」とかかけてくれて、ニヤリ。)ピアフルームにいると「森の月」のバンドのメンバーがゾロゾロと入ってきた。焼酎の一升瓶をお腹にかくし持っていて、みんなでコソコソとついでは飲む、その勢いが凄まじくロレツも回らなくなっていて、隣でコーヒーを飲んでいた私たちもお茶やおつまみをよばれていると、楽しい会話が弾んだ。ゲラゲラ笑っていたら、後から入ってきたネロにまで「いいものあるよ〜!」と机の下の一升瓶を「ホラ!」と笑顔で見せながらお酒をすすめてきたりして、あちゃ〜!なその状況にまた爆笑だった。ライブ前のあの酔っぱらいぶりにただならぬものを感じていたけど、ライブもただならぬ世界だった。ローデッドは体がプラプラしてきちゃうようなpsychedelicな宇宙で気持ちよかった。踊りまくっていたネロは終わったら、ぐわんぐわんになっていた。
今回のSMショーは月花女王がキャットスーツを着てムチをビシビシ!かっこいい。ああ、こういうエロティックでギラギラなショーは大好き〜!ライブ前に月花女王から、この間のブルベに来ていた全盲のお客さんで私達のライブを聞いて気に入ってまたライブに来たがっているっていう感激なお話を聞かせてくれた。嬉しくて感動した。しかーしそんな話を聞いた直後のライブは個人的にダメダメだった。落ち込んで家に帰ると外人からメールが届いていた。前にCDを買ってくれた人で海外レーベルからCDを出す気はないかみたいなことを英語でいっぱい書いてあった。どこか地球の裏側で私達の音楽が聞かれているというのは不思議だな。素直に嬉しい。だけど、気分はやっぱりロウテンション・・・。



5月21日 闇夜の狂気


私が代表をつとめている秘密結社ラ・ムーの本部にて、ここ1週間の調査報告書に目を通していると、一枚のファックスがジ、ジジジ・・・と届いた。こんな真夜中に一体なんだろうと拾い上げると、一枚の紙切れには「奇怪?!忍忍・都会のジャングル、ただ放浪記〜」と墨文字で書いてあった。何かの冒険物語のタイトルなのかしら?それとも・・その意味を考えていると、一本の電話が鳴った。ファックスの送り主でもあり、今回の立役者からだった。「明日の夕方、喫茶マサコに集合だよ!」と息切れ切れに業務連絡のみが伝えられ、ブツっと電話は切れた。私の胸は電話が鳴る前からすでに高鳴っていた。・・これは面白い夜になりそうだ。明日のプランについてあれこれ考えると手先が震えてきた。何を隠そう第一回の会合の日がついに実現するときがきたのだ。しかも私は隊長という大役である!これは一肌脱がなければいけないな!とりあえず今回のオリエンテーションとしては、ダークサイドな側面からこの下北沢の怪スポットをデビッドブランメルに紹介するという企画でいくことにきめた。早速企画案をまわし、皆の参加をつどった。ブランメル氏を案内する場所は私の中で既に決まっていた。モンゴル民族の怪しいパーティに出席するという話もあったが優先順位としては、一番に例の廃墟である。この廃墟は、少し前、たまたま散歩中に見つけたものだった。そのとき、わかったことは、廃墟に何かある、というより、廃墟の隣に広がった奥ゆかしい日本庭園から「何か」異様な空気が漂っている、ということだった。それがどうしても心に引っかかっていた。その後、何度か再びそこを訪れようとしたが、行かない?と話を持ちかけると、誘う相手はことごとく「不吉だから行きたくない」とか「最悪だ!」などと嫌な顔をされるのだった。まぁたしかに気味が悪いもの、嫌がるのも理解できる。でも一人ぐらい頼もしい答えを返してくれる相手はいないものか、と寂しく思っていたのだった。こう何度もたて続けに断られていると、どうしても行きたい、行かなければいけない、と、気になってしようがなかったのだ。そこで撮った一枚の写真を眺めながら、私はその日本庭園に何か強く引き寄せられるものを感じていた。

私たちはジャズ喫茶マサコにてこの会の発起人であるディビッドブランメルと落ち合った。変装しなくては失礼に当たるのでは、と考え色々な格好に衣装替えしているうち待ち合わせ時間になってしまった。遅れてマサコに入るとすでにディビッドは大きなスピーカーの隣の席に座って瞑想していた。このマサコは20年前からほとんど内装も変わっていない。学生の頃から通っている唯一の居心地のいい場所であるとともに、最高の音でジャズをきける渋い漫画もたくさん読める喫茶店である。
早速、ここ最近あった世間の怪事件や自分の身におきた不思議な出来事について皆で次々に順に発表し合った。デビッドから一冊の本を譲り受ける。ブ厚い本の題名は「図解 日本呪術全集」。悪魔が取り憑いた男の惨劇について検証しているとき、我々の声はあまりの興奮で大音響のジャズに負けない位の大声になっていた。ちょうど曲と曲の合間のしーんとした瞬間だった。常識的にはタブーとされる言葉が部屋の中に大きく響き渡ってしまった。ややっ!・・瞬時に声のトーンを落として平静を装ったが、私たちの付近に座っていたスーツの男に会話を聞かれてしまったようだった。我々の顔をけげんな顔でのぞき込み、それからスポーツ新聞を読んでいるふりをしてじっと耳を傾けたまま動かなくなった。どうやら聞き耳を立てているらしい。さすがに興奮していた私も少し白けて落ち着かなくなり、注意深くしながらまた小声で話し合っていると、不意にデビッドブランメル氏が無言で立ち上がって、その男に背を向けた。まばたきの回数という原始的な暗号で私たちに合図を送るためだった。
<<我々の会話が盗聴されている!>>私たちは黙ってうなずくと即座にソファから立ち上がり、出口へと急いだ。

本部に場所を変え、さらに私たちは「恐ろしいものとは一体何か」というテーマで様々な事例について語り合った。ブランメル氏の祖母の家は「階段のない二階」があるという。それはなんともシュールかつ怪奇なエピソードだった。というのはある日、こともあろうにおばあさんが階段を取り壊してしまったことから誰も二階に上がれなくなってしまったというのだ。つまり「開かずの間」を作ってしまったということだった。その事実に驚嘆する。他にも次々と奇怪なエピソードが飛び出し、たとえばyobeが自分の部屋に偶然に自らの手によって鬼門を作ってしまい奇妙な悪夢にうなされた話、そしてその悪夢の内容、また私の家探しにまつわる恐怖体験、さまざまな事例を皆で発表しては推察し、その背景に潜むものについてあれこれと検証した。とても有意義な時間だった。夜も深まった頃、私はデビッドを誘うと懐中電灯を持って外に飛び出した。私たちは自転車を飛ばして、夜の下北の住宅街を抜け、例の場所へと向かった。廃墟につくと、真っ暗でよく見えなかった。以前行った時は、業務用の殺虫剤が至る所に散らばっていて、庭の一角には何かの儀式のように小石が積み重なっていたり妙な形の針金のオブジェがあったはずだった。私は確かめるように懐中電灯で庭を照らした。隣ではデビッドが夢中でデジカメのシャッターをきっていた。すると、「あ!」とブランメルが叫んだ。「人が住んでいる!」廃墟の家の二階を指さした。見ると、なんとオレンジ色の明かりが灯っているではないか。今まで廃墟だと思っていた屋敷に人が住んでいたとは!・・・なんという恐ろしい事なのだろう。私は驚きの声を隠せなかった。
やはり一番恐ろしいもの、それは「人間」なのであるという一つの答えを導き出しながら、私たちは黙々とチャリをこいで本部へと戻った。その後、さらに森の中の民宿の跡地・密談カフェに場所を変え、野外キャンプのテントの中に腰を落ち着ける。季節外れなこたつに入り気分は上々。ロウソクの火をともしながら、なぞもんという名前の謎のてんぷら、ワニのからあげ(これは意外とおいしかった)などを味見しながら、祝杯をあげる。最終的には永遠のテーマである「人間の狂気と愛」について夜更けまで語り明かし、楽しい宴は過ぎていった。



  
(デビッドブランメル氏撮影「日本庭園」と、密談カフェのこたつにて。)


5月12日 

まさかこのご時世に洋楽CD輸入盤禁止とは・・・。
明日、洋楽CD輸入盤反対の記者会見がある。何か進展があればいいけれど。
現在は1万人が反対しているそうだが、それでもたった1万人?と思う。もっと多いかと思ってたので、ちょっとびっくり。

それにしてもメディアで限られた曲しかかからない日本。仕事場でラジオが流れている。特にラジオ局の流す曲など私はそろそろ限界の瀕死である。あれはひどい・・・。ヘドがでる。
あれは「洗脳」以外のなにものでもない。
日本のラジオ局はまともな音楽ファンを相手にしていない。聞き手も「ヒットしてる」といえば、リスナーは本当にそう思っちゃうんだからばかばかしい変な国。田舎の中学生じゃあるまいし勘弁してくれって感じ。
そもそもCDが売れないというのは当たり前ですよ。高すぎる!
国内メーカーなんて大量宣伝で今までガタガタ必死こいてやってきて、それこそカラオケで歌う「予習」のためにCDを買うような購買層だけを相手にしてきたくせしてそりゃあ、そんな「目的」のための音楽だったらmp3で十分なのは、最初からわかった話だ。

いよいよ、この国は音楽という重要な文化を安っぽい商品として定める法律を作ろうとしている。よりによって法律とは! これが逆輸入がどうのといった問題じゃないところが問題なのだ。

実際には、むちゃくちゃだ。CDショップ、Amazonなどのネット通販で国内盤の2割以上安い輸入盤は販売不可 !国内企業にライセンスのあるものは平行輸入不可!
CDショップで買えるのは、再販制度のせいで無駄に高い値段の国内盤CCCD!
その国内盤とほとんど値段の変わらないCCCDの輸入盤!
輸入業者が打撃を受けることで、比較的マイナーな音楽CDの輸入(紹介)にも障害・・・ということらしい。これはただごとではない。
なんということだ・・・。ついでに、
国内レコード業界は再販制により、世界一といわれる高利益水準を維持
日本向けには安定的な高価格でふっかけられる海外レコード業界はウハウハ
おまけに、その売り上げにかかる税金はビタ一文日本には落ちない
・・・ということにつながるらしい。

小泉内閣、宣伝に使う音楽のセンスがダサイだけにしとけばいいのに、何が文化かわかってやってるのかしら。
これはかなり深刻な問題だ。 国内の輸入盤を扱う小売店や業者に打撃ということになるのは間違いないだろう・・・。

なんでも人のせいにするな!!国民をなめるな!!といいたい。馬鹿げた法律で飼育されてたまるか!

参考:http://copyrights.livedoor.biz/


5月3日 エレクトロクラッシュ


深夜から渋谷のAIRというクラブに行った。SHEENA&THEROKKETSのリミックスアルバムELECTROKKETSの発売記念パーティがあったのだった。今回のREMIXをした方々もDJをするということで、クラブに入ると、すごい大にぎわい。人がぎっちり詰まっていて、下のフロアではぎゅうぎゅうになって皆踊っている。
着いて早々、お父さんのDJタイムではロックな選曲でガンガンに踊って、その後はクラブ内を徘徊した。重低音がお腹にズンズン響いてくるあのなんともいえない音圧はとても新鮮だった。最初は・・。そのうち、やがてすぐに違和感を感じるようになった。しかしどこに行こうにもドスドスと4つ打ちが大音響で鳴り響いていて、その音から遠く離れようとあちこちと歩き(逃げ)回るが、トイレに行こうがクロークに行こうが、階段のくぼみに身をかがんでみても、あちこちに設置されたスピーカーから重低音の波が押し寄せてくるので逃げ場がない!う、ウェップっと胃がひっくりかえり、だんだんと妙な汗をかいてきた・・。しかし、時計を見るとまだ夜中の2時半。ノウー!普段はこういうエレクトロなドンツク音はノーサンキューベリーマッチだけど、こうなりゃ朝までいくしかない!せっかくオシャレしているしパーティーなんだし、こうなればエレクトロ・クラッシュ・・・だ!私は腹をくくった。都会の夜を楽しむことにして、思考回路を麻痺するドラッグ(麦酒)をのどの奥に流し込みチャージオン、じゅげむじゅげむ・・・くうねるところにすむところ やぶらこうじのぶらこうじ パイポパイポ・・の頭をカラッポにしてエレクトロ・クラーッシュ!CO-FUSIONのDJ WADAさんのノリノリのドンツクサウンドで踊り狂っていると、都会の夜の熱狂の渦に自分がシュワシュワとコーラの炭酸の泡のように溶けてゆく気がした。ああ気持ちいい。かつて昔に行ったレインボー2000という野外レイヴを思い出して頭がぽーっとしてきた。ストロボのチカチカと踊っている人の群れを見ていると、体のどっかが麻痺してきて汗のにおいとじっとりとした湿気が充満したフロアに息苦しくなったので2階のラウンジに逃げ込む。そこはさらに人の渦。とにかく音がうるさくて話をするのも一苦労だ。難聴気味な私は何を言ってるか全然聞こえず会う人会う人に「はい?なんだって?」「え?何がなに?」と聞き返してばかりで話が先に進まない。き、きまずいではないか!しかし、そんなときは「イェイ〜!」という一言が間髪いれずにかえってくる。私も負けじと「イェい!」と言い合いお互い笑顔で握手。みなノリがよくハッピー&クレイジーな人々ばかりだ。KAGAMIさんやMOODMANにKEN ISHIさんにサブライムのDJ YAMAさんにMASEさんにHIRATAさんにプラスチックスの中西さんに中村しどうさんに岡村靖幸さんに・・・初対面の人達ばかりだけど、みんな気さくないい人でノリノリで次から次へと知り合いの輪が広がってゆく。。
・・私は夜遊びの社交場は苦手であったからにして、タバコが切れたと同時に頭がしらいでいった。そのうち頭がブチブチブチっとショートし、生音が恋しくてたまらんくなり発狂しそうになって、外へ飛び出ると、外は既に夜明けのあんどん。シーーーーーンとして道路には人っ子一人歩いていなかった。さっきのロボット小屋の騒ぎは一体・・。

カクカクとひざを曲げながら生身の体を実感しつつ、NAVIの車に乗り込むと、我々一行はふぅと一息いれた。不意にNAVIが「1,2,3,4」と我らがラモーンズを大音響で流してくれる。おお・・!!ラモーンズに合わせて大合唱がおきる。「・・・やっぱりこれだ!」「これしかない。」そんな確信の言葉が次々と漏れる車内。
NAVIが「人間の出す音は素晴らしいね」とつぶやいた。「うんほんと。」とうなずきながら、うとうと・・。銀河鉄道999に乗った鉄郎を思い浮かべながら、朝焼けの流れる風景を眺めた。

Midnight To Six Man ( Pretty Things )


5月1日 ミラールームの真ん中に

これからまたもや夜の六本木ヒルズへ。草間彌生展「クサマトリックス」に出かける。絵や作品は夜にこそ見たくなる。寝ぼけてないから頭も冴えてる感じだし・・・。夜のミュージアムの雰囲気はとても好きだ。近所のマルサンでワインを一杯飲んでから行こう。

草間彌生・・・草間さんの作る作品はすべて幼少期にみた幻覚へのオブセッションなのだそうだ。ニューヨークでアンディウォーホルやなんかと同じ頃から活動していた前衛芸術家。いつだったか「フロイトを焼き殺したい」といった彼女の発言に私は魅せられた。そのときのインタビューはかなりぶっ飛んだもので、私は衝撃だった。もちろん作品がとてもロマンチックでポップでそそられる。今回はなんでも、真っ暗な鏡ばりの部屋があるらしい。そして真ん中に何かすごい色の物体があるそうだ。ミラールームの中に立って、真ん中に潜む何かを早く見たくてたまらない。今日は楽しみである。


4月30日 尖ったヒールで

六本木ヒルズでクリエーターズのフリーマーケットという催しに参加しているヨベリンの手伝いに明け方から駆り出された。フリーマーケットの出品者は皆、カメラマンやスタイリストやアートディレクターといったファッション関係者ばかりだったので、代々木公園のフリマと違って100円たたき売りというよりは1点もの、風変わりなデザインのTシャツや奇抜なデザインのスーツやらアクセサリーやでっかい絵画などの芸術作品が出品お披露目され、相当な気合いが入っているようであった。私はヨベリンのデザインしたスモーキングッツやアート写真の店番をした。しかしこれがやってみたら、とても難しいのだった!接客というのはなんて大変な仕事なのだろうかと実感した。お客がくると、「いらっしゃいませ〜!!」と元気に言い放ちながらニッコリと笑う。この一言が最初はとても抵抗があった。意外と恥ずかしく、そして勇気がいる行為だった。お客さんはたいがいがしばらく見るだけ見て、アッサリと去ってゆく。私の接客に「押しが弱い」という意見もでたので、自分の限界に挑戦する事にした。お客さんに近づいて(手に汗をにぎりながら)「とっても似合いますよ!」と言ってみたりしたけど、我ながらとても押し付けがましく、うさんくさく聞こえた。そのうち疲れ果て、完全に放っておくようにした。すると意外とそっちの方がお客さんは買ってくれるみたいだった。祭日の六本木ヒルズだけあって、ものすごい人の量なので、人の波を見ているだけでも、どっと疲れるものがあった。けど、バックには心地よいダブミュージックが流れ、こういう行事に参加する事に意味があるような気がしてきた。 隣のブースの知り合いのヘアメイクさんもそのうち昼寝しはじめ、今日の出品者は皆、普段の仕事柄もあって、こういう接客はかなり苦手そうで難航しているようにみえた。日焼けを恐れながら、あれやこれやと試行錯誤しながら店番をやっていると、人波をかきわけてボブディランのようなモジャもじゃの髪をなびかせ、黒ダビデが出現した。昼間の光の中で会う黒ダビデはワイルドガイだった。 黒ダビデも手伝ってくれて、そのうちイサボンもやってきて、みんなで楽しくやってるうちにあっという間にマーケットは終了!

その後、カフェテラスにて軽い打ち上げ。かのSMショーのあり方についてなど皆で歓談する。この独裁思想とメディア・ファッショがまかり通るイラク戦争のまっただ中のご時世に血を流す行為は意味の無い事だというのは皆の共通意見だった。アングラで湿っぽいものではなくてジョークがほしい。フェティッシュなPVC、尖ったハイヒールと鞭こそが必要不可欠だ。独裁者やゲシュタポ、ゲー・ペー・ウーじゃあるまいし血の流れる欲望と快感をさらして、観衆の共感などはないのではないかと思う。聞くと黒ダビデも同じく小粋に鞭を振り回したい欲求らしい。なるほど!・・とすれば、SSショーか!それは面白いかもと思った。

家に帰って、ネロが貸してくれたDVD,「哀しみのベラドンナ」というエロティックアニメ(虫プロダクション制作)を見る。 1973年にベルリン映画祭で上映された時に、物議をかもした作品らしい。退廃的なムードが漂うサイケムービーで実験的な映像がものすごかった!!原作はジュール・ミシュレの「魔女」なんだそう。一人の女が絶望の果てに幻想的な悪魔に身も心も捧げて悪の身に転じてゆくストーリーが壮絶だった。・・・感動してしまった。


BATMAN  (LINK WRAY)


4月20日 赤い暴動の記録と考察

先日起きた事件「エジソンロッカーズ」について、ようやく思い出してきたので、忘れないうちに書きとめておこうと思う。やっぱりあれは「事件」である。・・というのも少々かなりぶっ飛んでいたせいも多少手伝って、何がなんでなんだったか、思い出そうとするとひどい頭痛に襲われていた。それがさっき、ふーっと一息いれたら、記憶の断片がつながってリアルに思い出してきたのだった。記憶障害が起きていたみたいだ。
真夜中はまた正午なのだ。

エジソンロッカーズの第二回目は無事終了したのだが(皆さんおつかれさまでした)、数日間、私の心には愛おしい波紋を残したままだった。あの日は、怪事件がUFOの内部ところどころで起きた。それは誰しも予想外の、通り魔的な事件であったように思う。それらが何者か誰一人知る由はない。後で聞くところによると、かの首謀者エジソンでさえその正体を知らないというから、さらに驚きだった・・・。

アレックスはイド(潜在的衝動)の怪物だ。それは誰の中にも隠れている
----スタンリー・キューブリック

まさにそんな衝動が爆発した夜だった。
それはあの日が面白かったからでもあるし、ライブを終えて楽屋にかえったら水浸しのめちゃくちゃにむき出したカバンの中身、それからtommy氏の白い革ジャンの背中に飛び散った血、エジソンの絵画小説がステージに飾られたときの歓声と絵画という狂気を前にした会場の異様な重い沈黙、そしてジョーイラモーンへ捧げられた黙祷3秒間の静寂(これはこの日で一番とても美しい瞬間だった)、そんなすべての出来事が見事に重なって生み出していたようなきがする。そして終盤に近づいた頃、私の心をかきむしったもの、ズバリ言うと、ジャンベを抱えたナドサットの襲撃と暴行である。ラストのインテグレイテッドスリィのライブ中、私は震えと快感と怒りまじりでその光景を見た。スリィのエルトポな狂気から、突然乱入した若者達(ナドサット)の白ならぬ「赤い暴動」をうむ瞬間を。そしてピース楽器を邪悪な小道具にステージで暴れ狂う姿を・・。スーサイド氏はマイクに向かって「時計じかけのオレンジ・・・」そう吐き捨てるようにつぶやいていたような気がするけれど(もしかしたら私の空耳だったかもしれない。)しかしあれは理由はどうあれ、衝撃的なヴァイオレンスと音楽のコラボレーションだった・・・。
一方客席ではウルトラ暴力に支配され凶暴化したネロが、死神ジョーの肩に乗り上がって両手をブンブン振り回して暴れまわっていた。至る所で、そんな暴動が起きていた・・。私は正直に言うと、快感と不快感のはざまに陥った。へんな事件に巻き込まれないようルーシーとはしっこのソファに身を構え、バリアを張って完全防備体制に入ったのは云うまでもなかった。しかし、ドルーグの1人が私たちの元へもやってきた。ふと見ると、ルーシーがまんまとつかまってしまい、悪の餌食になるのではないかと内心ハラハラドキドキしていたら、ルーシーは不意な「目つぶし」を食らわせてあっという間に敵を撃退させた。見事だった。うめき声をあげながら顔を覆って去ってゆく後ろ姿を見ながら、私たちはくすくすと笑いながら1,2アクションにのせて飛び跳ねた。それだけじゃない。私もその衝動に襲われた1人である。今更だけどここに告白すると、終演後のどさくさまぎれにそのナドサットに暗闇でサイドポジションからワンツーエルボーをきめた!(決まった)
その後はステージにいるナドサットの暴動もどんどんエスカレートしていき、場内は何を考えているかわからない変人(コックニーでいうところの『時計じかけのオレンジ』)で溢れかえったのだった。今考えると、とても恐ろしい。



「生の肯定」これは、おそらく現代においても未来においても、一番重要な大きな課題だろうと思う。


Singin' in the Rain (Gene Kelly)

 


4月9日 偽善者にアスホール!

風邪を引き、ここ2日熱にうなされている。仕事もお休みしてしまった。
ここ1週間、とんだタヌキおやじの提灯持ちの記事を書かねばならぬ、いくら仕事とはいえ割り切ってはいるものの、作業としてかなりつらかった。タヌキおやじは音楽プロダクツで飯を食っているライブスポットの社長である。インタビュー中、かなりの暴言が飛び出し、私は鼻から火を吹き出しそうであったのに必死で耐えた。気持ち良さげに1時間半語った戯言をテープで私は忠実に起こした。起こしている間、頭から火を噴きそうであったのも必死でこらえ、編集のプロとして徹したが、気分は最悪であった。あげくの果てには、起こした文章はまったく別のものにさしかえられ、内容はことごとく別の意味に置き換えられ、表現の一つ一つまでねじ曲げられた。私はこういった事実の「ねつ造」に加担させられた、ということはかなり重かった。精神的にはひどく落ち込んでしまった。しかし一つだけ、ここレッドダイアリーでグチらしてもらう。あのタヌキ野郎を表向きは何でもできるスーパーマンのように扱ってやらざるをえなかったが、海外アーティストを招致しライブDVDまでこしらえる真意には「老いぼれが死んだら、遺作になるから、そしたらガッポリうちだけで独占して儲かるじゃない。早く死んでくれないかなぁ、なんてね〜」と言いながらガハガハといやらしく笑いながら言い放ったあの一言に私は鳥肌がたつ思いだった。もちろんそんな言葉はインタビューからはゴッソリと削られている。そして「本当の音楽の良さとは何か」みたいなことを偉そうに語っているのだ。一人の音楽好きとして、許しがたい。腹立たしいったらない。この件を「大人のジョークもわからないのか」と目上の人に言われたが、にしても明らかに超えているものだと思う。私は理解できないし、理解したくない。と思った。以上。

●自衛隊派遣について
某所で私は出過ぎた真似をしてしまったのかもしれない。悪態をつきすぎたと少し反省をした。個人を中傷するのはいけないことだとわかっている。が、軍国主義な思想には断固として反対したいがゆえ、勢い余ってやってしまった・・・!正直、わざわざあんなこと書かなければよかったなーとも思う。この件が関係しているのか、私宛に直接ウェブメールで文句みたいな意味不明な文章を送りつけてくる方もいて、へぇーあ、っそう、と驚いた。国の軍国主義思想を植え付けられた戦争賛成者が異様に多いのが現実なのだ。まさかの現実である。
戦争反対、じゃあ何すればいいか?自衛隊はイラクに飛び立った。じゃあ何をすればいいか!?皆なにかしら行動しなければ意味がないと思ってる。特に戦争賛成してるやつ!でもここは運動会じゃないんだ、学級会でもないと思う。
「 平和を願うこと」ただ平和を願うこと、それだけが何の意味ももたないという幻想を抱かさせられるこの社会において、平和という言葉ほどチンケで安っぽい言葉はないのかもしれない。

でも私は、愛する人と、愛する仲間たちと、愛する家族と共に、平和を願いたい。戦争を反対したい。

オノヨーコさんは言った。
「1人で見る夢はただの夢だけど、二人で見る夢は現実になる」と。私はその言葉を信じる。




1-2,ACTION!(Integrated Three )


3月22日 STOOGES


まだ夜は冷える!ここ最近、地下にもぐってばかりいた。相変わらず「それでも足りない」病。 春とか別に関係ないし、たまにワクワクしたりその反動で落胆したり・・。


STOOGES! STOOGES! STOOGES!

今日は雨が降っていて、特に寒かった。気合いで革ジャンにミニスカートで渋谷 AXへ ゴーリルカマラゴー!開演前に見事到着。AXはガラが悪い輩がわんさかいて、一階のロビーはタバコの煙でむせそうなぐらいの、まるで「悪の掃き溜め」だったので笑ってしまった。煙い。しかし僕も私もレッツスモーキン!!ビアー!ああ、悪い盛り場にきてしまった。辺りを見回すと、知り合いがチラホラ。皆、いつも会う時よりどことなく気合いが入っているおもむきで胸を張って堂々としている。ロケッツのなべはサングラスと革ジャンをキメてクールな感じ、まおらうさんやちょろまつ、大きな超人の青い木さんはクールなTシャツがシンボルの戦闘服を見せながらニヤっと「暴れるぜ〜!」と完全に戦闘態勢に入っている。場内どこか緊張感が漂い、皆、まだかまだかと目が血走っている。革と雨の蒸れた匂いがたちこめていて、私もゴクリとつばを飲む。横ではネロと死神ジョーとイサボンが同じくソワソワして、皆落ち着かない。ルーシーはかわいそうに風邪で寝込んでしまって来れなかったので、おみやげにTシャツを買った。2階に行くと、がくりんやダビデのボブ/ウーロンやインテグレイテッドスリーのTOMMY,穴井さんもいて、マークやジェイソンもいて、気づいたら父上と母上も発見した。
イギーのショウを生で見た時の、その衝撃は体験済みだけど、最高の引き立て役を引きつれたイギーを見るのは初めてだ。フジロックでラッキーにもステージの袖からイギーを間近で見ることができたときがあった。正直言って、人間じゃないと思った。正気の沙汰ではない、あの姿に私は全身鳥肌がたった。しかし、イギーのヤバさと「その引き立て役」がものすごいコントラスト。何かイギー1人が別次元からきた未来の原始人のように見え、グランジとメタルの学生時代を過ごしたあか抜けない田舎のやさぐれパシリ3人衆を金と権力でしたがえているような、そんなヤクザな光景は妙な違和感があった。でもそれはそれで最高にかっこよかった。あえていえば、いまいちロックンロールな熱っぽい感じ、バンド感が薄かった。。

そんなことを思い出しながら、下を見下ろすと、黒ずくめにギラギラした美しい・・あれは何だ!深淵のようでも・・ないし、ウジ虫とも違うもっとリアルな、現実的なレベルの、赤黒い欲望・・?(なんかちがう)とても力強いエネルギーの固まりがブワンブワンと揺れてみなぎっている。うごめくびっしりとしたオーディエンス!!!このワクワクした感じ、最高だった!突然、ステージが光ったと思ったら、STOOGES!! 初っぱなからLOOOOOOOOSE!
ここはSTOOGESのライブ会場、狂喜の館!STOOGESのチープなネオンと赤いカーテンに炎のようにゆらゆらと揺れる黒い影の照明が一層ゾクゾク感をあおる!こんなクレイジーホールでSTOOGESなんて最高!!
昨日のSTOOGESを見てしまうまでは「イギーポップ」だった。しかし、これが、あの「ストゥージズ」!!イギーのあの動き・・・あの破壊的なパワーとワイルドな狂った猛獣のような・・・、そしてあの黒っぽくギラギラしたブラックジョークがきいたストレートなサウンド、重たそうな体のスコットアシュトンのドラム(サングラス姿で顔は見えなかった。)なんてクールで落ち着き払っているのに軽やかでどっしりしたリズム!(フロア連打から始まるDIRTではもう腰がくだけそうだった。)ロンアシュトンは、一番の兄貴といったふうな確信犯的なたたずまいで黙々と耳障りなギターノイズであのリフをウャインワャインとひいていた!!やたらパンクなヤケクソな動きがクールなアンダーグラウンドな渡り鳥ベース野郎マイクワット!(楽屋ではとてもスキニーでジェントルな腰の低いおじいさんだった!!)この恐るべし4人の作り上げる音、はじめて体感した。それからFUN HOUSEのサックス!!スティーブマッキン(あの音色、完全にキていた!!)そして、イギーは何かに取り憑かれた狂人そのもので、アンプに寝っ転がってネコのように体をしならせる姿はもうこれが映像ではなく肉眼で見えているのだということにショッキングでため息まじりの悲鳴がでた。1曲目からダイブ!うごめく客席に飛び込んではステージに戻る。何度でも!!上半身裸な上にローライズなジーンズが半分脱げておしりハローで踊り狂う。ぎゃー!ミックジャガーのそれとも近くて遠い(しかし悟りを開いたものだけが到達するあっち側にいるうえでは共通している)そんな核心の部分をむき出しにして動き一つ一つから強烈なエネルギーを放出していた。さらに鋭く冴えた覚醒した聖者のような美しさが強い信念となって肉体に宿っているような、これがRAW POWERなんだ。パンクの神髄だ。なぜか一瞬、故郷の北九州の高塔山からみえる製鉄所の煙突の煙りと鉛で汚れた真っ赤な海の残像がパっと出て消えて意味不明。はっとなって、目の前のステージをみると感動した。涙がぶしゃっと出そうになってしまった。世界でここではじめてやるという新曲もやってくれた!しかもクールな曲だった!!

私が夢中になる BANDは今はなきことが多い。ラモーンズこそ小学生の時から追っかけてライブに行ったけど、高校を卒業したイヤなタイミングに衝撃的に解散してしまった・・ジョーイもディーディーもいない。ドアーズだってキンクスだってフーだってソニックスだってモダンラバーズだってMC5だってニューヨークドールズもこの現代におらんじゃないか。 60年代のあのリアルなパンクなワイルドな生身のロックバンドが今おらんじゃないか!いつもレコードの音とギシギシいうノイズからバンドの熱を想像しては妄想して感じるしかないじゃないか!歪みながら白光りした古びた白い画質のビデオを見て熱狂するしかないじゃないか。ひきこもり&妄想狂になる必須条件がこれだけそろっていて・・・ここ最近とくにだんだん同年代の友達とも音楽の話ができなくなってきた。「古い」とか「なつかしい」とか一番最悪なのは「大御所」とかで片付けようとする!・・・そうして妄想は極みに達する。さらに集団社会で仕事とかはじめたら、嫌というほど実感させられる。やれ「社会人」だの「常識」だのタヌキの着ぐるみを着た人種が「表と裏」と「ドライさ」を機敏に使い分け、みな人当たりがよく争いごとも滅多におきないが、異端をこきおろそうとするズルいところは学校も会社も構造は全く同じ。テレビとBGMが話題を次から次に与えてくれ、群衆意識とゴシップ感覚だけが養われる。いつのまにか集団心理の罠にはまり国の恐怖作戦にはまり、軍国化は進む一方だ。NO FUN!
I KNOW SOMETIMES I FEEL DIRT!!FUCKIN DIRT!
イギーがライブ中、そう吐き捨てるように言い放っていた。私は今までおこがましいながら、自分は生まれてくる時代をまちがったのだと決めつけていた。しかし、それは昨夜のSTOOGESを体験してその発想が完全に崩壊した。Like dirt!くそったれ〜!
ただの野放しの犬だ!I WANNA BE YOUR DOG !!
抑圧された毎日だって・・・?そんな幻想は、早く捨ててしまおうと思った。今日、今、この瞬間に!!LOOSE!!!!!


THANKS, STOOGES!

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IGGY & THE STOOGES Skull Ring Tour 2004
2004.3.22 SHIBUYA-AX セットリスト

1.LOOSE
2.DOWN ON THE STREET
3.1969
4.I WANNA BE YOUR DOG
5.TV EYE
6.DIRT
7.REAL COOL TIME
8.NO FUN
9.1970
10.FUN HOUSE
11.SKULL RING
12.ROCK STAR
13.ELECTRIC CHAIR
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14.LITTLE DOLL
15.IDEA OF FUN
16.DOG
17.(NOT RIGHT) ※(←いったん引っ込んでまた出てきてちょろっとやった!)



楽屋でもらったこの日のセットリスト


2月19日 We Will Fall


ついに待ちに待ったSTOOGESの来日ギグのチケットが発売される。というか発売はまだである。
イギーのオフィシャルサイトで一カ月以上前にこのニュースを見てから、いつ告知がされるのかジリジリしていたが、ようやく国内で告知が始まった。3月2日よりチケットが発売だ。しかし、ライブの20日前にチケット発売ってかなりギリギリだな。IGGYのステージを見るのは今回で3度目にあたるが、今回は夢にまで見たSTOOGESでの来日である。しかも今まで野外ステージのフェスでしか見たことがない。今回はホールでの単独のライブだ。しかも渋谷AXというと去年の暮れ、ロケッツの25周年パーティの前座でバンドで出演したホールである。私にとっては思い出の場所だ。あれっきり行く機会もないが、AXのあのホール独特の音質、広いステージ、高い天井、ああ・・・!!
あそこで彼らがどんなステージをやるのか想像するだけで鳥肌が立つ。
早速、皆に電話連絡網をまわし、チケット手配の算段に入った。当日は心身その他もろもろ万全の体制で望もうと思う。

http://smash-jpn.com/iggy.html


2月13日 エジソンロッカーズ第一回


昨日あった話。
前の日から違和感があった。モゴっとした感触のままタクシーに乗って道をまっすぐとUFOの内部へと乗り込んだ。
地下の行き止まりに突き当たってドアを開けたら、なんじゃこのお遊戯場は!!!?!ステキ!なんだか保育園の教室のようなときめく感じだった。
なつかしい感覚に胸の奥がムズムズした。これからお子様タイムが繰り広げられるのだろうか・・・・!と胸が躍った。
ルーシーは着いたなり、うわぁ〜!落ち着く〜!といい、うしろに流れているヘンテコな音楽に合わせて一人優雅にバレエを踊り出した。ネロは遅れて登場し、全てがうさん臭いといった冷めた顔をして、部屋をきょろきょろと素早く鋭く見回して、意地悪そうな笑みを浮かべたので、ちょっぴり嬉しいのと不安が入り交じった複雑な心境に駆られた。(結果 から言えば、ネロはどうやら覚醒した)死神ジョーときたら、今日はいやにシラっとしていて、何も言わずふらっとどこかにいなくなってしまった。曲順やら決めたり話したりしたいのに、赤い壁を見回してもどこにもいない。ルーシーが電話をかけたら、環七の向こうを散歩していたという。それを聞いた私は嫌な事を思い出して内心、青くなった。死神ジョーがこのまま深い闇へとまた疾走してしまうのでないかヒヤヒヤとトイレに行くと、一段と赤い世界がポワンと広がっていた。
出番が来そうなので楽屋へ行くとイビツな角をはやしたじゃじゃ鹿バンビがギャーピーギャーピ鳴いているのが遠くから聞こえた。ん?あれは!あなたの犬になりたい?皆、口をそろえてNO!と叫んだ。張りつめたヤバい空気が体を突き抜ける。気分がロウすぎるローへ流れていくのを感じながらナイフを研ぐ私の手を見ると指が4本になっている。ウワーウ!ガリっと指を・・?目の錯覚だろうか、目眩がするようなゆらゆら気持ちいい感じだった。すると、突然ドアをすごい勢いで開け放ちながら、「緊急事態〜!緊急事態発生〜!」と叫びながらエジソンが楽屋に飛び込んできたのでギョっとした。すかさず胸ぐらをつかんで「ちょっとー!これ一体どうなってんのッ!ええっ?」などとエジソンを揺らしていると、ベースの低音に合わせて、ぐにゃぐにゃっと少しずつ空間がねじれてゆくような気がした。
ああ!のどがカラカラ、頭がグラグラ・・・。 メモラックの矢印を道しるべに 長くて黒く細い道を抜けたらサイケデリックなステージにでた。はっとして、ほっ!・・まだ垂れ幕が下がっているではないか。そのまま「ブランクジェネレーション」と泣き叫ぶヘルをジリジリと待った。それにしても、なんだこの真空空間は!UFOの中だから?トラッシュでチープでガレージな音がワンワンする。あの音はレコードの世界だけじゃなかったのかー。ステージからは、メルヘンな影がうじゃうじゃと見えていた・・。ミッション完了。コードネーム「気品」。


無表情のまま左の口元だけがナナメに上がった妖怪ヘイ3人衆は雑居ビル内の地下室から荒野の美しい砂漠へと人々を誘い出し、そのまま、まんまと私は連れ去られた。オーノーここはどこ?と脱力していると、拍手喝采!悪魔のチンピラ詩人、泉さんがひょっこりステージに現れ、台の上から私の一番好きな詩、「不完全燃焼」を歌い上げた。
「ドロドロしたエゴイスト、空間を切り裂くサディスト 時間に縛られるマゾヒスト」(ここのところでイエースッ!と心の中で叫んでしまう) ブルベでは聞いたことがなかったが、初めてライブで聞いた。トレビアン!
続いてステージに躍り出たインテグレイテッドスリィ!・・・奴らはグロテスクな怪物なのか!?魔界の教団 レッド・モンクス?!曲が一曲おわるたびに別の怪物に変化をとげて変形してゆく。正体がつかめない謎の生物なのか。何か見てはいけないものがうまれるような・・イタリアン・ホラー・・・!
閉じかけた幕がまた開くとスティックを振り回すエジソンがまたサイコーだった。 幕が全て開くと今度は完全にイカれ果てた3人がステージに姿を現したので、私は思わず歓喜の悲鳴を上げた。これはフラッシュバック?あたまがへんてこで楽しくて・・毒キノコを思わず口に入れてしまったような。
その後、UFO内では異星人によって内部を侵略された人間たちがゾンビのように間抜けな動きで狭い空間をヨタヨタと歩いている風景や頭を振っているもぞもぞした変な影があった。70年代のどっかじゃあるまいし・・・まるで、けむしになったチョウのようだ。一方ステージの毛虫さんはヤケッパチにように「自分は毛虫だ、あなたは毛虫じゃない」とわめき散らした後、自分の吐いた煙にまかれて消えていった・・・!!なんと、エクセレンツな・・。
楽しい夜・・・笑いがとまらないヘンテコな夜はゆっくりと確実に過ぎていった。
家に帰ると、遠足から帰った子供のようにバタンキュー!

翌 朝、目覚めると、昨日のことが一瞬なんにも思い出せなかった。 「不思議の国のアリス」の、アリスが見知らぬ 国に流れ着いた時にかかる歌が頭でうっすら流れていた。
♪ぐるぐるまわるどんどんまわるいつまでも、はじめがおわりでしっぽもなーい 後ろが前で、前が下、下が上さ、はーじめとおわりがぴったんこーだ


思い出せば思い出すほど、長い不思議な夢でも見ていたのかもしれないというぐらいヘンテコな夜だった。寝そべって机のマッシュルームランプをぼーっと見ていると、「・・・どっちが夢見てる?・・・」という邪悪な問いかけが聞こえた。

 

Monk Time (Monks)



2月7日 ティッシュペーパー・サイコ


私はあることで、日々小さなむかつきを感じている。たいしたことあるかといえば、全然ないのだけど。
でもしかし毎日そのことで、たった一瞬なのだけどムカツキを覚えている。
何かというと、家のドアの前に捨てられたティッシュペーパーこと鼻紙である!!
そんなティッシュペーパーのゴミが落ちてるぐらいなんだ、気が小さいな。と思われるかもしれないが、これは時にとても許しがたい行為なのである!!
外から帰ってきて鍵を開けようと、ドアの前に立つと、絶対に鼻紙が丸めて捨ててあるのだ。しかも、時にはコヨリみたいにもろに鼻の穴に突っ込んだような形になっていたりする!(だから鼻紙なのだとある日わかった)鼻紙だとわかった瞬間は多少は安心した。白い丸めたティッシュの中に変な虫が入っているんじゃないかとか怯えた時もあったからだ。しかし、鼻紙だっていやなもんだ。どこの馬の骨が捨てたかわからない鼻紙が、なんということか!雨の日は雨でビショビショになったティッシュがドアの前にペシャっとさみしげに横たわっている。休みの日は休みの日で、外に出ようとドアを開けると、やっぱりある!!疲れて帰ってきた夜など、ドアの前に無造作に捨てられた丸められた鼻紙を見ると、とてもむなしい気分になる。
最初の頃は、風に吹かれてどっかの家のゴミが流れてきたのかと思って何とも気にもとめなかったが、気づけばそれが1年以上続いているではないか!いくら変態弁護人であったとしても、チリも積もれば山となるで怒りも爆発して当然である。
それを見つけるたびに手をワナワナしながら両足の靴底で素早くその塊を持ち上げ、ファーーーックと叫びながら気分はサッカー選手で、おもいっきし廊下の端の方へジャンプしながら飛ばすのが日課だ。もちろん最初は端の方をつまんでゴミ箱に捨てていたが、だが毎日、時には日に2回も、いい加減もうそんな律儀にやっていられない。しかし抜かりなくやっているつもりだ。この状況を誰かが面 白がって見ていたら、と思うと気が気でならない・・きょろきょろと辺りをうかがって無人を確かめてから、注意深く冷静にやっている。

そして、昨日の夜、外に出ようとしてドアを開けると、この日2度目の鼻紙に出くわした。
以前、友達に話したら気持ち悪がってくれ、知り合いのスパイに相談しようかという話も出たが、誰が捨てているか探偵に教えてもらったところでどうすればいいのだろう。その後がめんどくさいし、第一お金ももったいない。なので、やはりこれは放っておくよということになっていた。しかし、どんな奴がこんなバカなことをやっているのか、気になると言えば多少気にはなるものである。これは何かの嫌がらせのつもりなのだろうか? 仮説を立てるならば、同じ建物に住む上の階もしくは同じ階の人が騒音などの苦情代わりに嫌がらせとしてやっているとか・・。わざわざ外から捨てにくる奴はいないだろうし。それにしても毎日よく続けられるなぁーと思う。おそらく生活習慣になっているのだろう。
今日たまたま鼻をかんでいて鼻紙野郎のことを思い出したので、試しに覗き窓から覗いてみることにした。
じっと黙って、覗き穴をゆっくりとのぞくと 『 ・・・あ、この感じは・・』
突然ふっと昔の思い出が頭によみがえった。 私は覗き穴からすごいものを見たことがある!

あれは小学生ぐらいの頃・・。双子の姉とおとなしく留守番をしていた夜のことだった。外は風が強い日で、ビュービュー風の音が鳴っていた。風で玄関のドアがコンコンとノックみたいに聞こえて嫌な夜だった。不意にドアのチャイムが鳴った。私ははしゃいでドアの前にいき覗き穴をのぞくと、誰もいない・・。しばらくたってまたピンポーンと鳴った。今度は姉がのぞいた。ドアを開けても、やはり誰もいなかった・・。風で誤動作となって鳴ってるんだということになり、それから何度かチャイムが鳴ったが気にしないようにして遊んでいた。時折、何度も鳴るベルの音・・・。私は暇をもてあましていたので、誰もいないとわかっていたけれど、どうしても覗き穴を覗いてみたくなった。 すると今度は、ピンポン、ピンポン、ピンポーン、と続けてチャイムの音。
さっきまでの音とはどこか違うような気がした私は、「誰かが訪ねて来たみたい!」と急いでドアに近づきゆっくりと覗き穴に目を近づけた。
「!!」そこに見えたものは、なんと長く尖った鼻、黒い三角の帽子を被ったしわくちゃの老女、魔女の横顔だった。
魚眼レンズを 見た瞬間全身に鳥肌が立ったことは忘れもしない。私は見てはいけないものを見てしまった驚きと恐怖で足がガクガクしたが、物音を立てず気づかれないようにそっとドアから離れ、姉の元に逃げ去った。「目が合わなかっただけでもよかった」と2人で布団にもぐり、魔女が訪ねてきたという興奮と恐怖とで震えながら両親の帰りを待ったのだった。
この出来事は秘密の自慢話として幾度となく得意げに友達に話したものの、怖がるどころか出来損ないの作り話だとして誰も信じてくれなかった。・・なんで覗き穴から魔女、だったのか、別 に魔女に特別入れ込んでるわけでもなかった。今おもえば、子供の幻覚だったのかもしれないけど・・。
「幽霊の正体見たり枯れ尾花」という言葉があるが、正体を確かめなければ枯れ尾花も幽霊となるのだ。

そんなことを思い出しながら、 覗き穴から見る風景はいたって普通、何の変哲もなかった。人影も怪しい影もない。バカバカしく思えてきたので、部屋に戻った。
しかし、2年目に突入した今、きっといつかは「鼻紙を捨てる瞬間」にバッタリ出会う時がくるだろうと思う。その時は「この鼻紙やろう!」と罵倒するか、いや逆撫でしないよう普通 の顔で「あら、あなたでしたの、じゃあ明日も待ってますね」かな。とにかくいつ出会ってもいいよう、決めゼリフを用意して、心の準備をしておこうと思う。


SEE NO EVIL (TELEVISION)


2月6日 ストレンジ


夜、青い部屋に悪計に行った。 少し遅れた節分という事で豆まき大会の日だった。 青い部屋ではオカマちゃんが、けばい厚化粧をして、派手な着物をたくしあげて高い厚底のサンダルをはき、気持ち悪い怪物の唄みたいのを歌っていた。素顔は素朴なおすもうさんみたいな人だとある日知ってしまったことがあるから、なおさらその姿がひどいったらない。そこをあえて狙っているのだろうが、 観客は身なりのいいおばさまばかりだった。制服姿の娘を連れた上品なお母様もいたりした。皆、真剣に唄を聞いていた。 もちろん戸川さんの歌を聴きに来て、強引にその猥雑ショーを見せられているということなのだけど、 その状況がなんともストレンジでならない。私はこのストレンジな世界を密かに盗聴していた。青い部屋はいつもストレンジだ。まるでリンチの映画に出てきそうな滑稽なショータイムが繰り広げられている。そんな世界だと知らずに巻き込まれた人たちが口をポカンと開けたまま身動きせずじっと黙って座っていた。私はここに来るたびに、頭の中がストレンジな何かでいっぱいになって帰るときにはいつも自分の妄想に撲殺されそうになる。ショウサクはいつもの鋭い目をして、ここで起きる出来事を心底面 白がっている。今日は照明係をやっていた。と、突然、たんぽぽのような光に照らされたLOUちゃんがステージに登場し、ピアノで弾き語りをはじめた。これまでの空気が一変してゆく。気づいたら、じっくりと床に座って毒の味がする灰色プリンを奥歯の方で味わっていた。彼女の声は香気にて楽の音のよう。
エントランスにてショウサクと 次回のミッションのコードネームを決める。1,2,3,4の合図で出した2人の答えは見事に一致したため、一瞬で用事は終了。満月の夜ということもあり、長居は禁物。豆まき大会が始まる前に足早に青い部屋を後にした。


2月3日 節分


今日は節分だった。知ったのが、夜も更けてからであった。うっかりしていた。それもシスター・ヨベリーナが電話で知らせてくれたのだった。そういうヨベリーナも豆が家になく、豆のかわりに落花生を窓から投げたという。ヨベリーナはとてもスッキリした声で「やったがいいよ!」と言った。
電話を切ると、私もソワソワしてきたので、さっそく豆を探した。しかし、豆らしいものはなく、せいぜいボイルしたビーンズの缶 詰があったが、まさかこんなものを屋外にまき散らすわけにはいかない。おつまみのピーナッツでもあればいいのだが、それもなかった。バックではラストワルツのDVDが心地よく大音響で流れていた。
黒光りしたマディーウォーターズがマニッシュボーイを歌っている。ふと台所の棚を見ると、目に入ったのは白ごまである。これだ!
私は白ごまのジッパー袋を即座に開け中に手を突っ込んだ。 白ごまをざっくりと手に握りしめ、いざベランダの窓を大きく開け放つと、 雨が上がった後のしっとりピリピリした空気がすすすーーーっと部屋に流れ込んだ。1960年代に建てられたこの街で一番古びたマンションの3階の角部屋・・・どうでもいい。ええい豆などどうでもよい!これは日本人を感じる清めの儀式である!!
すーっと息を吸い込むと、私は一心不乱になって「鬼は外〜福は内ー!」と叫びながら、窓という窓、玄関のドアから思いっきり白ゴマをまき散らした。
豆まきが終わると、儀式のしめに白ごまを一握り食べた。素晴らしく身が清められて満足である。
ソファーに腰を下ろすと、ラストワルツではボブディランを囲みI Shall Be Rereasedが始まった。ゆっくりとエンディングまで聞き終わると、何かにふっきれたような気がしていた。 神経が冴え渡っていくのが感じられる。 そろそろ私の悪魔が目を覚ます時刻だ。


1月29日 FUCKIN' RADIO

明日の30日の金曜日にFM-FUJIの「おれたちイジワルケイ」という番組で私のバンドがフューチャーされます。「ダークサイドミラーズの世界とは一体なんぞや?」たる特番でLUCYと私がゲストで出ます。夜中の1時から2時まで。よかったら聞いてください。ラジオの電波に乗せ、オール・ライブ音源をお茶の間めがけて荒々しくぶちかます予定です。
詳しくはDARKSIDEMIRRORS WEB で。

ラジオは録りっぱなしで録音された。何を話したかよく覚えてないけれど、一つだけ言えるのは、けしてださい番組じゃないってことだ! なんせパーソナリティーは日本のイギーポップ&ストゥージズといえば、彼らをおいて他にはいないだろう赤と黒の岩口タカという人物。恐ろしくクレイジーでファッキンロッケンロールなバンドのボーカルだ。アンダーグラウンドのパンク界では彼の名を知らないヤツは犬に食われて死ね(もぐりってことね)ってことわざがあるぐらいだ。
赤と黒は今年20周年を迎える。私がはじめて彼らのライブを見たのはたしか小学生の時だった。ものすごい傷だらけの細い上半身に黒のシースルーを着て見るからに危ない匂いがする。革パンにキンパツの目つきのやばい男が狭いライブハウスのステージをアンプに飛び乗り右から左にイギーポップばりに激しく飛び跳ねて踊る歌う。そして激しい曲の途中にガっと客席に飛び降りたかと思ったら、最前列にいたすぐ近くの女の人に大人のキスをした。私はそれを間近で見たとき子供ながらにショッキングだった。そして、ヤバイ世界というのは、すぐそこに存在しているんだということを悟った。悪い冗談も面 白いダジャレや遊びもたくさん教わった。そして彼はいつのまにか私の兄のような存在になっていた。いまでも会うと「何だって自分次第でやれる」ってことを体を張って教えてくれる。とても親愛なる存在だ。
ラジオはもっとまともなことをしゃべればよかったようなきもするが、そんなファッキンなラジオにルーシーと出ることができて、とても嬉しかった。

そういえばストゥージズの単独ライブがキマッタらしい。3/22@渋谷axだって!
よい子も悪い子もみんな行こう!


1月24日 ブルーベルベットナイトvol.34

今回のブルベは青い部屋にて新春飛び入りナイトということで、我らダークサイドミラーズもたくさんの新参者とともに「悪徳の象徴であるピンクのバラの花」を背に、自分たちの欲望やら希望やら芸術やら悪夢やらを披露した。 気が付けば今年最初のライブであった。

出演者は15分程の制限時間を与えられ、その中で自分たちの詩や歌を入れ替わり立ち替わり披露する。
ビート詩人の泉さんはこの日はシンセの変なノイズの迫力ある生音をバックに、後ろには幾何学な模様が延々と映し出されたりする映像も流しながら詩を読んでいた。泉さんが一人で読む詩はリズム感がとても好きなのだけど、今回はそれとはひと味違った世界を楽しませてもらった。面 白かった。泉さんの詩集「かりそめの安楽椅子」に対抗して、私達は「たそがれの電気イス」という曲を作ります、と言うと、泉さんは怪しい笑みを浮かべていた。泉さんとは今度の2/12のエジソン・ロッカーズというイベントでもご一緒する。
(このイベントは、インテグレイテッドスリィのエジソンが主催する様々な発明家たちが集まってイマジネーションを一気に爆発させるという目的の夜なのだそうだ。INTEGRATED THREEはやばいロックのエネルギーをブンブンに放出させるかなり危ないバンドなので、とても楽しみ! )
そしてタンザニアエーデルワイスはルーシーの友達のバンドだ。ガールズパンク!ロウなテンションでやる電撃バップはイカしていた!皆ワルぶっていてそこがもうキュートでかわいくて好き。私もガールバンドでやりたくなった。チェリーボムとか叫びながら、客席にガムやらツバを吐き散らかしてみたい!かつて一度だけJACO NECOのデビルさんに一夜限りのカバーバンドをやらないかと誘われたことがあったけどな・・。ガールズバンドってちょっといい!
それから黒ダビデ扮するダーティーブラザーズ。今日の一番心に響く演奏だった。 ピアノを弾く黒ダビデに、うっとり。なんせ声がステキなのだ。最後に悪夢という曲をやっていた。とても甘美な夢のような曲だった。黒ダビデの詩はとてもイマジネーションをかき立てられた。「死神の群れ」とかいう言葉とか放たれると、私の世界にもあるので一人でニヤニヤしちゃう。美しい世界が気持ちよかった。もっと聞いていたかった。
つづいて マジックショーもあった!
バックには生のアバンギャルドな即興音楽が幻想的な世界を作り上げる中、正面 に立ったピシっとしたスーツのメガネをかけた真面目そうな手品師が手に白い手袋をはめ、次々と華麗なマジックを披露していく。思わず、何度も「わぁ〜!!」の声を上げてしまったぐらい、とても不思議で興奮した。

我らダークサイドミラーズはというと、いつもより短いライブということや今日の宴の最後の演奏として登場したこともあって、私達はいつもよりfast&highなテンションだけを念頭に、ミラーズの鏡に映った「光の部分」に焦点をしぼった構成でやった。
やっている最中、 暗闇がどんどん押し寄せ手元がまったく見えなくなり、爆音ノイズの無音の世界にいってしまった。私はラストの曲に金切り声で「I DON'T WANNA BE YOUR DOG」と叫びまくったが、爆音にかき消された。

-------ちょろまつがとってくれたビデオにもその真っ黒ぶりはしっかり映っていた。真っ黒い画面 の中にリザードメンのぶっ飛ぶ映像だけがポカンの浮かんでいて、とてもかっこよかった。それで少しだけ光に照らされたルーシーの顔が、時々ふわっと浮かび上がる。ネロや死神ジョーもほぼ黒い影がチラチラと動く姿で目撃でき、私は黒い闇に完全に溶けていた。
これはどうやら 青い部屋の照明もかき消されるほど、人がたくさんいたってことだそうだ。 あまりの真っ黒加減と、いつもはない私達の音楽で踊っている女の子たちの姿にルーシーときゃあきゃあ言いながら見てしまった。---------

ライブが終わって楽屋から外に出ると、みんなが入り口のドアへと急いで帰っていた。「今日は楽しかったね。またね」、「また会う日までサヨオナラ」と握手を求められたりして、皆がお別 れの挨拶をしてくるので、事の事態もわからず挨拶しまくった。汗ばんだ体で頭がぼーっととしていたら、しばらくたって、音楽が鳴り止んで、はっと我にかえって辺りを見回すと、オーノー誰もいない!!ネロとルーシーと私の10年ぶりに再会した友人らとお店のスタッフだけ・・・。
え?THIS IS THE END ?そんなぁ〜・・・。なんてさびしい終わりだ!!
そう、あまりにも慌ただしくブルベは幕を閉じたのだった。
私はWhen The Music's Over が頭にうっすらと鳴り響きながら、チラシのゴミが床に散らかった青い部屋のゼブラ模様の床をしばらくぼ〜っと眺めていると、空腹感と疲労感でぐったりしてきたので青い部屋を後にした。

とても愉快な楽しい夜であったが、核の部分では様々な欲望の世界がひしめきあっていた。恐ろしい快感と同時に鳥肌の立つような恐怖を覚える。
ここのところ私は、現実を切り刻んでいるのではなく反対に現実に切り刻まれているような・・・?そんな感触に陥っている。
切り刻まれる瞬間はいつなのかわからない、 しばらくたってその感触が残る。
ここだけに告白すると、私が思うに青い部屋で行われるブルベというのは、かわいらしい馴染みある名前で誤魔化されているが、実はほんとうのところ魔宴なのである。
VOL.1からオープニングアクトをやっている私たちであるが、そのことに気づいたのは、あるブルベの明け方にうさぎ男達がスキップしながら青い部屋の前でうさぎのダンスを踊った時だったと記憶している。
ブルベにはもうひとつのアナザーサイドがたしかに存在しているのだ。
そして今夜もいい夜だった。
雑踏する大都会 妄想でいっぱいな大都会 ここでは幽霊が真昼間現れて夜の味をいっそう苦いものにしている。

家に帰りながらタクシーの中で、私はドアーズの「まぼろしの世界」のジャケットの写 真が頭によぎっていた。そんなどこか奇妙でフリークスな夜だった。



フェリーニの「道」が見たくなった。 Oh NO,ザンパーノ!

THE END (DOORS)




2004年1月10日


新年早々、踏んだり蹴ったりである。
なにかと凹むことばかりたて続けに起こるので、やや気分は低空飛行・・。年末風邪をひいたせいもあり、今年は寝正月だった。浮かれポンチな気分はゼロに等しく、気づいたらアッという間に忙しい、いつもの生活・・・。

今日の昼過ぎ、自転車をたらたらとこいで いたら、曲がり角にさしかかったとき、突然角からすごい早さでチャリにのった男が真っ正面 から突っ込んできた。私は見事チャリごと吹っ飛ばされ、地面にゴロンと転がった・・。一瞬何が起きたかわからなかったが、その男は全然なんともなかったようでハァハァと息をつかせながら、私を抱き起こして早口で何かしゃべっていた。私はようやくこの状況が飲み込め、身体の異常を確かめるため、おそるおそる自力で立ち上がると、左の太股からヒザにかけて、かなりの激痛が走るではないか!!(くっそー。や、やられたか!?)さすが吹っ飛ばされただけあって、やはり負傷しているらしかった。
ゆっくりと鼻呼吸に変え、呼吸を整え、こんな時どうしたらいいものかと頭を高速回転させてみた。後で何かあったときのために、男に連絡先を聞いた方がいいのかなぁとも一瞬頭によぎったが、相手も同じ自転車だしなぁーと思い、しばし沈黙の後「痛いけど、・・大丈夫です」と言いながらビッコをひきつつチャリをひきずって足早にその場を去った。
振り返ると、まだこちらを遠くからじっと見ていたので、なんだか恥ずかしくなり立ち止まるのを我慢して角を曲がってから、やっとフゥと一息・・。あぁ無事でよかった。
柔道をやっていたせいか、転んだとき無意識に受け身をとっていたようで、右の手のひらがひどく汚れていて、じんじんしていた。でもけが的には左足の負傷だけで済んだようで、ひと安心・・。
あー相手が車じゃなくてよかったな。しかし災難だった。暴走チャリは気をつけよう。 私もチャリのスピードには自信がある方だが、今回たまたま被害者だっただけで、加害者にもなり得るのだし・・。足は後で見てみると、既にすごいアザ・・。こんちきしょう〜!!

今年はなんか歯切れが悪い幕開けだったが、新年早々ついてないような気もする。去年のこの時期もこんな感覚だったのかしら?と思いレッドダイアリーをチラっとみてみたら、なんと!今のこの状態とは全く正反対で、スッキリ晴れやか、気分高らかに山頂で麻雀しているような脳天気な自分がいて驚いた。それはそれだが、どっちがいいとも言い難いなーと思ったりし、やはり今この瞬間はとても大事なのだなぁとしみじみ思う。
時というのは、日付や時間が同じ数字を繰り返しているせいで、そうやって過去とついつい比べてしまいがちだが、まわりの環境も自分の感覚も常に変化し続けているのだ。そもそも同じ時、同じ気持ちなどは存在しないのだ。永遠に繰り返すことのない新しい時を刻んでいるこの瞬間・・大事にしなくてはいけないな。

朝方タバコを買いに外に出ると、とても美しいおぼろ月夜だったので思わずデジカメを取りに帰って、家の前で激写 する。
ムーンパワーー!しっかり吸収!!



NO FUN (Stooges)


 

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